前回、ノイズを受け止めることで生まれる新しい公共空間と、それが生まれるときに必要とされる建築家像について語った二人。二人が目指す公共空間を実現するには?
西田 司 (オンデザイン)
1976年神奈川県生まれ。1999年横浜国立大学卒業後、スピードスタジオ共同設立。2002年東京都立大大学院助手(~07年)、2004年オンデザインパートナーズ設立。その後、首都大学東京研究員、神奈川大学非常勤講師、横浜国立大学大学院助手、東京理科大学非常勤講師、東北大学非常勤講師などを兼任。「ヨコハマアパートメント」2011年度JIA新人賞受賞。
http://www.ondesign.co.jp/
民地を開く
民の土地も官の土地も開く
両方から進んでいく気がするんですね。いわゆる行政が管理、パブリックスペースに個人が入ってくる、企業が入ってくる。パブリックスペースを自分のものだと思って介入してくるという行為ですよね。逆だったら、民地、企業や個人が所有している土地を開くことによって、そこが公共化する。その結果として、その中間領域、コモン空間みたいなものが自然に生まれていく。その状況がいかに起こるかというのが面白いんだな。
「PUBLIC DESIGN 新しい公共空間のつくりかた」の初めに書いたんですが、僕らは資本主義社会、自由主義社会のフォーマットの上での生活で、最大限楽しんでいるじゃないですか。でも、それが行き着く先に、過剰な所有が進んでいて、誰かが所有している空間か、そうではない空間かの対立になっているような気がして、でもその所有の欲求がどんどん進んでいった先に幸せがあったのかというと、結構そんなこともないということに、何となく僕らは気がつき始めていて。
それを考えるときに、パブリックスペースを考えることと何か直結するようなイメージがして仕方がなくて。公共空間に個人がコミットする技術やノウハウやシステム、逆に民地を公共に開いていくことによるルールとかってあると思うんだけど、そのあたりの中間的な空間領域をデザインして、維持して運営していくことのシステムのノウハウに、その新しい時代の資本主義の形みたいなものがあるんではないかなって、ぼんやり思っているんですよね。
新しい資本主義、公共空間
今の話ってコミュニティーの話も含まれていると思うんですよ。例えば住宅街の中であれば、住宅街の一角をどうやって開いていくのか。それは制度的に、例えば50平米以内にしか作れないような住宅にかかっている規制をどう外すのかとか、そういうプロフェッショナルな話もありますし、逆にそこで子どもが遊んでいたりとか、バーベキューしていたりするときに、周りが怒らないような社会システムというか、包容力がある地域社会をどう作るのかとか。
今までは街に若い人が入ってきても、そこで何が起こっているのか何となく距離があったけど、むしろそこで若い人が住んでくれるなら、自分たちの街もちょっと変わっていけるかなと元からの住民が思えるみたいな、その緩やかな関係性が同時に起こしていけると、すごくいいなということは感じますよね。
西田さんはそういう一連の、空間生成と敢えて呼びましょう。その間のどこにどういうふうにコミットして、どこまでコントロールして、どこまでオープンにしていいと考えていますか。その辺に、僕も悩んでいるし、興味があるし、多分みんなが聞いてみたいんじゃないかと思うんだけど。どんな感じなんですか、関わり方の方法は?
公園は、管理者にいかに大丈夫かということを説明すれば、一応できるじゃないですか。でも、それはやっぱり規制がかかっている限りは、公園にかかっている規制を管理している人たちが、どうしたら「いい」と言ってくれるのかを考えなきゃダメだと思うんです。
バーベキューしたいときに「火気厳禁です」と言われたら、一生懸命考えて、これは実は防災炊き出しなんじゃないかとか。石巻でも、昔はよく空き地でバーベキューやったり、炊き出しをやっていたんですけど、これ実は防災の訓練をするために、月に1回炊き出しをやっていたんです。これがバーベキューなんじゃないか、というふうに置き換えてみると、それは地域コミュニティーにとっても必要だし、そこでバーベキューができることになって、公共空間が楽しめるということにもつながったり。それはやっぱり、こういう制度設計を崩すための役割を誰かがしなきゃいけない。
建築をやっていると、法規とか制度というのがすごく近くにあるし、弁護士とかを除けば圧倒的にしゃべれる立場だと思うんですね。行政の人も運用の仕方で困っていたりもするので、誰も来ない公園を作るぐらいだったら、ここで子どもがちゃんと遊べるような場所を作っていく方が面白いんじゃないかとかというふうにやっていくと、公園が変わっていくと思うんです。
そこに遊具が必要だと思ったら、安全性を担保した遊具パークを作るかとか、カフェが必要だと思ったら、カフェはどのぐらいの規模だったら投資ができるのかというのを考えて。
そうした動きの中の、どこを僕自身が設計者としてやっているのかというのは、非常に難しい部分があって、行政の人が全部やっているのをアドバイスしているとも言えるし、違う地域でこういうことが起こっていますよというのを持ってくる伝書鳩ぐらいの役割をやっているかもしれないです。自分自身が何を決めて何をやりたいのかというのは、言葉にしづらいですよね。
でも最終的に作りたいのは、新しいというか、あそこは豊かで楽しそうだなという風景で、やっぱり街に出て楽しそうで豊かで、そこにちょっと自分をコミットしたいという風景ができれば、行くじゃないですか。
何かそういうことが実現するためには、建物1個じゃできないということも分かっているんです。建物だけだとできない。建物と建物の周りの風景と、あとそこにつながっているいろいろな周りのコミュニティーの人たち全員巻き込んで、一緒に作っていこうぐらいの方が面白いかなと思っています。
※石巻2.0プロジェクト
http://ishinomaki2.com/v2/memberv2/
◆対談連載 「新しい公共空間のつくりかた」第1回 馬場正尊×西田司(前編)
◆対談連載 「新しい公共空間のつくりかた」第1回 馬場正尊×西田司(中編)
あと、僕が石巻プロジェクト(※)で感じたのは、プロジェクト内で、1個1個のお店とかの店先を開いて、街の本棚にしたりとか、ものづくりの工房を作ったらとかしているじゃないですか。あれって基本全部民地なんですよ。まさに、公園がないから、空き地を活用して。民地を自分の意識で動かし始めているということがすごいなと思っていて。
パブリックスペースという言葉を使っちゃうと、どうしても公共のいわゆる道路とか公園とかの話に聞こえちゃうんですけど、民地だけど開いていくことによって、開いたことがそこに人の集まる環境を作っていって、そして開いていること自体に公共性が宿っていく。なかなかこういう話は公共の議論をするときに出づらいというか。あれが何か現代的に起こるにはどうしたらいいのかなとか、自分の1日の生活とか、365日の生活の中に、自分がちょっと開ける時間とか場所ってないかなというのを1人1人が考えることが集積すると、もっと街が面白くなると思うんですよね。