公園を活用しようと思うと、立ちはだかる法律や規制の壁。一体どうなっているんだろう?悶々と悩んでも、条文とにらめっこしても、一向に答えは出ない。そうだ、専門家に聞いてしまおう!僕は公園の専門家であり、東京都で公園緑地部長を務めていた国交省 公園緑地・景観課 緑地環境室長の町田誠さんに話を伺うことにした。これは、そこで聞いた、驚くべき公園法にまつわる物語…
町田 誠 (国土交通省)
1959年東京都生まれ。1982年建設省入省後、国営昭和記念公園、国営備北丘陵公園、国営明石海峡公園他、日本各地の公園緑地の業務に従事。東京都建設局公園緑地部長を務めたのち、2013年7月から国土交通省都市局公園緑地・景観課緑地環境室長。
はい。では早速。公園法には「何を置いちゃいけない、何をしちゃいけない」というのがそれほど具体的に書いてあるわけではないんですよ。
えっ!?
法律に基づいて自治体は条例をつくりますが、これをもとに条例を作ってね、というような条例の雛形でも同様ですし、現実の地方公共団体の条例も同様です。公園は多目的な空間ですし、アクティビティも様々ですから、例えば公園利用者間でも軋轢が生じる。そうした軋轢を減らすために、ある特定の行為を「禁止」にする。軋轢の恐れがある行為は許可しない。これが今の公園の現状です。公園法等で禁止されているのは植物や動物の採取や、公園そのものの損傷のようなことだけです。
いきなり目から鱗です。てっきり法律でがちがちに規制されているんだろうと思っていました。
いえ、むしろ現場レベルでフレキシブルに使える可能性を秘めているんですよ。さらに説明すると、公園法には占用許可・設置許可・管理許可など、第三者の行為に対して許可を出すことができる。
許可を受ければ、占用・設置・管理ができるということですね。
はい。道路や河川にも占用という概念はあるのですが、第三者に本来目的の施設の設置や管理を許可するのは公物管理の世界では珍しいと思います。道路や川は、人や車が通る、あるいは水が流れるのに必要なもの以外のものの設置は、すべて「占用」という概念で捉えます。「占用」というのは本来の目的ではないものを置く、ということです。公園だと、公園の敷地内を通る下水道なんかは占用にあたりますが、そのほかに、公園の効用を高める公園本来目的施設の「設置」を第三者に許可するという概念がある。
目的外のものを置くことを指す占用とちがって、設置は「目的にかなったものを置く」、ということですか?
そのとおりです。目的にかなえば、「物を置いてもいいですよ」という設置許可と、さらに、「それを管理してもいいですよ」という管理許可まであるのが公園法なんです。
なんだか公園法って緩やかなのかも知れないという気がしてきました。
公園法が生まれた背景
公園法に第三者による設置や管理という概念がなぜあるのか、ということを理解するためには、公園法が生まれた背景を知る必要があります。公園法が制定されたのは昭和31年(1951年)。戦後の混乱がようやく収まってきて、ちゃんとした法整備をしなくては、ということで制定されたのですが、近代の公園の歴史そのものは明治6年まで遡ります。
公園という概念は西洋の概念ですものね。
太政官という大変強大な権力をもつ行政機構が、明治6年、府県令(知事)に、「これから日本でも公園をはじめましょう。今まで人が集まっていた場所を公園と指定すれば、それを公園として認めますよ。そして、それを府県が管理しなさい。」というような通達を出しました。
なぜ、そんなことを言ったかというと、旧幕府の庇護の下にあった寺社境内地など、当時人が集まって公園的な役割を果たしていた場所の多くが、税金を掛けられない土地だったからでした。
税金の取れない土地を明治政府がどう管理していくのか、その一つの答えが、国が管理するのではなく、「万人快楽ノ地」公園として府県に管理させることだったわけです。東京は幕府のお膝元でしたから、寺社境内地や公有地がたくさんありました。東京府としては、税金を取れない土地を、それまでの概念としてない「公園」として管理しなさいといわれ、管理する財源も無く困るわけです。
その頃作られた公園は、今も残っているんですか?
現在残っているものは、上野公園、芝公園、飛鳥山公園などです。その他の、浅草寺や富岡八幡宮はなくなってしまいました。全体的に一番大きく残っているのは上野公園ですね。芝公園の中心部は増上寺として残っていますし、プリンスホテルも建っていますよね。最終的に多くが民間企業の土地となった芝公園と、広く一帯を公園とした上野公園は、対照的な形で残っていると思います。
上野はほぼ全域が公園として差し出されたという訳ですか。
はい。だから広大な公園を中心にして地域一帯が形成されています。
上野公園の中になぜ料理屋が?
明治6年、太政官布達が出て上野を公園にしようと考えたときに、府は、それまで公園を管理したことがありませんでした。新たな概念である「公園」の管理に多くの税金をかける余裕はありませんでした。
そこで、東京府はこの公園を管理するためにどのようにすれば良いか悩んだ末に、東京営繕会議所(今の東京商工会議所)に相談したということです。
東京:「今度、上野を公園にしようと思うのだが、どのように管理すればいいと思います?」
営繕:「それなら、公園の中で料理屋などをやらせるのはどうだろう。その料理屋の上がりの一部を公園の管理に使ってもらうということでどうでしょう。」
東京府は大蔵省にこのようなやり方の是非を聞き、それで問題ないということで、それで今でも、明治初期からの料理屋が上野公園の中にあるわけです。
東京府は、公園を管理するための財源を確保するために公園内に料理屋を置かせました。それを適法なものにするために、公園法には、第三者による施設の設置・管理許可という概念がつくられたのです。他の公物ではこういう必要に迫られないでしょうし、道路や河川の中に料理屋を置くということもあり得ない。
料理屋を適法化するための設置・管理許可ですか。その法律っていつごろできたのですか?
昭和31年です。
結構あとの話ですね
昭和31年4月20日に公園法が制定されるまで、公園を管理するための法律はありませんでした。
最近ですね。それまで、公園は何となく管理されていたのですか。
自然公園と違って都市公園は営造物の公園ですから、自治体が独自に条例を定めて、それに基づいて管理されてきたはずです。都市公園法が出来た後は、公園法を根拠法とした条例によって管理してきたということです。
その後、公園が一気に増えたのは、昭和47年以降、都市公園等整備緊急措置法が出来てからで、当時2万3千ヘクタールだった全国の公園は、今では12万ヘクタール、10万箇所を超えています。昭和47年以降の40年で公園は5倍に増えた計算です。
こうした中で、各地方公共団体も公園管理のための財源に苦労するようになり、先進的なところでは、「公園内で売店や飲食施設の設置・管理を認めることを前提に指定管理者を募集しよう」というところが出てきています。百四十年前の発想と同じですよ。
つまりは、今もそういうやり方ができる法令の枠組みの中にあるということです。それでも、第三者に対して公園の中に権利を設定することを認めるということについては、多くの地方公共団体では良しとはしないでしょう。NOっていうところが多いと思います。明治6年にスタートして、都市公園法の昭和31年を経て、公園という公物に対する考え方もじわじわと変化してきたわけです。
時代が元(原点)に戻った感じですかね。コンセッション方式とかって、アメリカの最先端の方法かと思っていましたが、なんと日本では明治の時代からあったわけか…驚きです。
公園の活用を提案しようとすると、必ず都市公園法(以下「公園法」)が出てきて、なかなか進まないケースがあります。そこのところをどうにかできないのか、ちゃんと勉強したいと思っています。町田さん、今日はよろしくお願いいたします。