公共空間に重ね合わせる複数のプログラム
東京の東側を南北に流れ、江戸、そして東京の豊かな産業と文化を育んできた隅田川。その流域全体を使った画期的な祭典「隅田川道中」が行われたのは2022年の秋のこと。
祭典の舞台は合計7区(中央区、台東区、墨田区、江東区、北区、荒川区、足立区)の広域なエリアにまたがり設定。和楽器集団・切腹ピストルズが天下泰平・疫病退散を願って太鼓、笛、螺貝、三味線を鳴らしながら隅田川沿いを縦断し、水上の屋形船では、ラッパー・GOMESS、詩人・高橋久美子、アーティスト・コムアイを講師に招いての創作体験が繰り広げられ、隅田川沿いの各地では、地域のコミュニティを核としたイベントやマーケットが開催……と、複数の活動が掛け合わさることにより、その賑わいは川の周辺エリアにも波及していきました。
一方、公共空間の活用に詳しい人ならば、これだけ広域を使った祭典の裏で行われた数多くの交渉、調整などのプロセスを想像し、気が遠くなるような思いを抱くのではないでしょうか。
なぜこのように大掛かりなプロジェクトを立ち上げようと思ったのか、その具体的なプロセスや、その背景にある思いについて、「隅田川道中」の主催であり、東東京を中心に、音楽・アートと地域を結ぶ活動を続けるNPO法人トッピングイースト理事長・清宮陵一さんにお話を伺いました。
プレイヤーと観客との垣根を崩したい 地域に関わり始めた理由
「隅田川道中」の話を伺う前に、まず音楽プロデューサーでもある清宮さんのこれまでの経歴、そしてこの祭典の前身となった企画「隅田川怒涛」について触れる必要がありそうです。
2010年までレコード会社に勤務していた清宮さん。音楽やアートを軸に、地域に関わるようになったきっかけはなんだったのでしょうか。
「レコード会社は当然、音を売ることに特化していますが、当時ちょうどメディアがCDからデジタルへの移行期であったこともあって、力のある若手や中堅のミュージシャンが毎年作品を出して結果を出し続けるのはなかなか厳しく、無理をして才能がすり減ってしまうのはもったいないと感じていました。それと、デジタル化の反動としてライブが重要性を増すだろうと、そこに力を入れていきたいと思うようにもなりました」(清宮さん)
音源制作に限らずライブ制作も行い、様々なミュージシャンの活動をサポートするためのプロダクションを立ち上げます。一方、ビジネスとは異なる形で、音楽を主語に自らの住む街で地域と関わるようなことをしてみたいと、まずは墨田区両国周辺に住む近所の音楽関係の仕事仲間と共に、投げ銭コンサートを始めてみました。たくさんのご近所さんが集まったこのコンサートはとても盛り上がりましたが……。
「0歳から90歳まで、知った顔も知らない顔も集まって、幸せな空間になりました。一方で、地域に何かをもたらしたいという気持ちは、この形態では満たせないかもしれないと感じました。自ら進んで飛び込んではみたものの、『地域×音楽』という荒野は果てしないぞ、と(笑)」(清宮さん)
そんな清宮さんにひとつの転機が訪れます。2012年のスカイツリー完成に伴い、その敷地内にて、地域の市民団体が自由にパフォーマンスできる機会が墨田区主催で設けられたのです。地元で活動を始めた皆のパパ友ママ友づてに子どもたちを集め、女の子たちのベリーダンスチーム、男の子たちのスティールパンチームを組んで練習し、子ども達38人、総勢53人でパフォーマンスをしました。
「子どもたちが大きくなったら、俺あそこでライブやったんだぜ!とスカイツリーにデートに来た時自慢できるよね、という軽いノリで始めたのですが、やっていく中でどんどんのめり込んでいきました。
音楽を売ることも興行をすることも、プレイヤーと観客とを分けることでビジネスが成立します。それとは違うことを始めようと近所で投げ銭コンサートをやってきたけれど、それはこれまでの延長、縮小版だと気づいたんです。もっと区分けを曖昧に、従来のビジネスから遠く離れれば離れるほど面白いことが起きることを実感しました。
好き勝手やりたい放題の子どもたちとのクリエイションは、自分も、講師も、親御さんも巻き込まれていって、想像もしていなかった場が生まれちゃったんです」(清宮さん)
機を同じくしてディレクションに関わり始めたのが、東京都や足立区、東京藝術大学音楽環境創造科熊倉純子研究室らによる、北千住を舞台にしたプロジェクト「アートアクセスあだち 音まち千住の縁」。清宮さんが街中で実施する初めてのアートプロジェクトでした。
「当時、足立区では、独居老人が白骨遺体で見つかるとか、親の死後も年金を不正受給し続けていたなどの報道がありました。その背景には地縁がなくなりつつあることが関係しているんじゃないかという仮説を立て、失われた地縁の再獲得を音によって試みようとするプロジェクトでした。自分がぼんやりと考えていたことが言語化されていたことに関心を持ち、関わるようになりました。大友良英さんや足立智美さん、大巻伸嗣さんといったアーティストたちも関わっていて、まさに求めていた『地域×音楽』の取り組み、参加型のアートプロジェクトでした」
音楽・アートを通じて、観客とプレイヤーという垣根を揺さぶり、地域の関係性をつなぎ直すこと、そこに確かな可能性を感じて模索を続ける一方、当事者になりきれないジレンマも感じ始めました。
「たとえば地元の人とのトラブルに直面した時も、どこかよそ者の自分が本気で介入できないもどかしさがあって、自分の場所を構える必要があると思いました。スカイツリーでの出来事の先を描く、『地域×音楽』の地元版をいよいよ始める時が来たなと思いました」(清宮さん)
そうして、東京アートポイント計画というアーツカウンシル東京のNPOスタートアップ支援制度を使い、2014年、墨田区を拠点にNPO法人トッピングイーストを立ち上げ、活動を開始しました。
隅田川怒涛から隅田川道中へ
「隅田川道中」の前身であり、2021年に春と夏の2会期で開催された、参加型の音楽とアートのフェスティバル「隅田川怒涛」。東京2020オリンピック・パラリンピックを文化的な側面からも盛り上げるために、東京都と公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京が実施したアートプログラム、「Tokyo Tokyo FESTIVALスペシャル13」の一環として、国内外からの2,436件の応募から選定された企画です。
「トッピングイーストを立ち上げてから5年ほどが経ち、墨田区を中心に東東京で点的にイベントに関わることは増え始めていました。これらをさらに面的に展開させたいと思っていたところにTokyo Tokyo FESTIVALの公募が出て、これは!と応募したところ、採択されました」(清宮さん)
「隅田川怒涛」のモチーフとなっているのは、東東京にもゆかりの深い葛飾北斎が晩年に描いた「怒涛図」。この絵を現代でどう解釈するかにトライしました。
「北斎の怒涛図は祭りの山車の天井画として描かれたもの。体内の水が沸き立つように人間が自由な表現ができる状態を北斎はこの怒涛図で表現していたんじゃないかと解釈し、音楽・アートを通じて、人々が怒涛のように自由に混ざりあう環境をつくり出したいと思いました。そのために、『地域』というアプローチが活かせると考えました」(清宮さん)
春と夏の2回に会期を分けて設定したのも、たとえば春開催では観客だった人が、夏開催ではプレイヤーになる、という双方の距離感を崩すような流れをつくり出したいという理由から。参加型のプログラムを複数会期で仕掛けることで関わり方の変化を生み出し、大きなうねりをつくりたいという思いがありました。
「東京は、見る側も消費者的な感覚に慣れすぎているし、舞台を設定する側もそれで良しとしている。東京でも東の方なら両者が混ざることができるんだよ、という提案をしてみたかったんです」(清宮さん)
思い描いていたのは、行き交う遊覧船を下りるとあちらこちらの船着場で同時多発的に参加型の音楽・アートのイベントが開かれているような風景。
しかし新型コロナウイルスの感染拡大による東京2020オリンピック・パラリンピックの延期に伴い、「隅田川怒涛」も延期。1年後に実施はされたものの、繰り返し緊急事態宣言が出される中、人を集めるようなイベントはご法度。規模を大幅に縮小し、その多くはオンライン配信というかたちで実施せざるを得ませんでした。そのフラストレーションが、今回の「隅田川道中」へと引き継がれ、形になっていきます。
縦軸としての流域パフォーマンス、横軸としてのローカルイベント
東京都が主催となって実施した「隅田川怒涛」から、自らが主体となり実施する「隅田川道中」へと舵を切るのは、思い切った決断に感じられます。一部墨田区からの助成は得られるものの、資金集めのためにクラウドファンディングも行い、企業協賛集めにも駆け回りました。
また、広域にわたる公共空間を使ったイベントとなれば、当然、使用する場所への許可申請や地域への周知活動、警察・自治体との協議が必要になります。隅田川という縦軸に掛け合わせていくパフォーマンス、横軸としてのローカルなイベントはどのように発掘し、どんなプロセスを踏んで実現したのでしょうか。スタッフの細田侑さんも交えながら、さらにお話を伺います。
「切腹ピストルズが隅田川の南北、全長23.5kmと長い距離を練り歩くことになるので、通過する隅田川流域のそれぞれの地域の人にもなんらかの形で参加してほしいと思いました。細田くんにそれぞれの地域の人を巻き込みたいと相談したら、各所に入り込み声かけしてくれて、結果、合計10カ所でローカルイベントが同時開催できました。」(清宮さん)
【練り歩き「道中」プログラム】
・切腹ピストルズによる練り歩き
【遊覧体験「流し」プログラム】
・「言葉の川を旅する」(高橋久美子:詩人、GOMESS:ラッパー)
・「ひと雫の私であり続けるために」(コムアイ:アーティスト)
【マーケット「河岸」プログラム】
・荒川知水資料館「岩淵水門完成40周年企画」@岩淵水門付近(主催:荒川知水資料館)
・東京北区観光協会「しぶさわくん」による送り出し@岩淵水門付近(主催:一般社団法人東京北区観光協会)
・豊島5丁目団地わくわくまつり@豊島団地(主催:東豊名店街)
・野村誠 千住だじゃれ音楽祭 meets 隅田川道中@千住大橋付近、隅田川テラス(主催:アートアクセスあだち 音まち千住の縁)
・宮前ソラのマルシェ@荒川区宮前公園(主催:宮前ソラのマルシェ実行委員会)
・胡縁和太鼓による送り出し演奏@汐入公園付近、隅田川テラス(主催:胡縁和太鼓)
・喫茶ランドリーマーケット@両国リバーセンター(主催:喫茶ランドリー、株式会社グランドレベル)
・堤防DJフェスin浜町船着場@浜町防災船着場付近、隅田川テラス(「堤防DJフェスin浜町船着場」実行委員会)
・DeepRiverMarket@永代橋東詰北側、隅田川テラス(主催:DeepRiverTV)
・「道の駅」勝どきマーケット@勝鬨橋付近、隅田川テラス(主催:一般社団法人東京水の都推進協議会)
同時開催のマーケット「河岸」プログラムは、もともと開催されていた既存イベントの開催日時を合わせたものから、これを機に初めて開催したものまでさまざま。
例えば、隅田川沿いのマンモス団地、豊島団地(北区)の「豊島5丁目団地わくわくまつり」(主催:東豊名店街)は、商店街組合に掛け合い、隅田川道中と日を合わせて3年ぶりに開催された団地のお祭りです。
「豊島団地は熱意のある商店街会長さんがいらっしゃったので連携もスムーズでした。当日は切腹ピストルズが会場のステージでパフォーマンスをして、大いに盛り上がりましたね」(細田さん)
一方、実行委員会の立ち上げからトッピングイーストが伴走し、新たに立ち上がったのが、荒川区の宮前公園で開催された「宮前ソラのマルシェ」(主催:宮前ソラのマルシェ実行委員会)。キリン鉛筆工場の跡地に荒川区が15年ほどの期間をかけて完成させたばかりの、スーパー堤防と一体型の都市公園である宮前公園。開園以来初めてとなる大規模なマルシェイベントとなりました。
「公園に隣接して『ARAKAWA_ii_VILLAGE』という店舗の運営をしている川合さんという方が中心となり、紆余曲折を経て実現しました。ここでは切腹ピストルズを乗せた屋形船が堤防に近づき演奏したのですが、堤防の斜面にわーっと人が集まって演奏を聞いてくれて、まさにこんな使い方がしたかった!という絵が実現できました」(細田さん)
これら隅田川沿いの各地で同時多発的に発生しているローカルイベントたちを串刺しする存在が、切腹ピストルズのパフォーマンス。
「地域ごとのイベントとその運営者、来場者を、切腹ピストルズのサポーターと見立てたんです。道を歩いている人と切腹ピストルズがずっと直接当たり続けるとちょっと刺激が強すぎるかもしれないけれど、地域のサポーターたちが中間領域になってくれる。
公共空間の中で、中間領域が発生することで、強度のあるパフォーマンスがより広く、誰にでも伝わる確率が高まると思いました。サポーターとパフォーマンスが出会う距離間隔とそれが必要なエリアにも気をつけながら、全体の構造をつくっていきました。」(清宮さん)
連絡会設置による関係者連携
隅田川流域全体を舞台として捉えた時、警察、港湾、役所、町会など……さまざまな管轄が絡んでくることは避けて通れません。
関係各所との調整をする上で大きな役割を果たしたのが、「東京都建設局河川部」、隅田川の入口300mを管轄する「国土交通省 関東地方整備局 荒川下流河川事務所」、隅田川流域の7区(中央区、台東区、墨田区、江東区、北区、荒川区、足立区)、隅田川テラスや船着場の管理を担当する「公益財団法人東京都公園協会」といった関係者で構成された連絡会です。この連絡会を約3ヶ月に1度の頻度で開催しながら情報共有などを行いました。
こうした連絡会は、公共空間の管理側である行政にとっても、組織を横断した情報共有のために有効なもの。「隅田川怒涛」がきっかけで組成された連絡会ですが、「隅田川道中」でも構成員が少し入れ変わる形で引き続き開催されました。
「公共空間を使いたくてもどこが窓口かが分かりにくい中、この連絡会の参加メンバーに聞けば、まずどこにアタックすればよいかが分かるのでありがたかったです」(清宮さん)
開催する上でひとつの大きなポイントとなったのが、開催エリアとなる7区のすベてから後援をもらうことでした。ルートの設定上、すべての区に平等な距離で立ち寄るというのは難しく、区間が短くなってしまう区もあります。関わりが浅くなれば、いちNPO主催の事業に、なぜ区が後援を出す必要があるのか?という声が上がる可能性もあります。
「1区でも後援しないということになると、そこから雪崩のように後援が取り消されてしまう可能性は大いにありました。逆に言えば、7区すべてに後援してもらえることによって、例えば反対の声やクレームがあった時でも、ディフェンス機能が格段に高まります。スタッフの芦部玲奈さんが、各区の担当者の元に足繁く通い、きめ細やかにケアをしてくれたおかげで1区も取りこぼさずにすみましたが、まさに薄氷を踏む思いでした」(清宮さん)
公共空間のトリセツ:占有許可申請と近隣説明
切腹ピストルズの練り歩きにあたって、まず必要となるのが警察への道路使用許可申請。管轄が13にも及ぶため、一度はすべての警察署を回って説明。その上でスタート地点の管轄である西新井警察署に、すべての署への内容説明を終えたという記録とともに、一括申請を行いました。これは、マラソンなどの通行ルートが広範囲にわたるイベントの慣例にならったものだそう。
警察との協議の上でポイントになるのは、そのルートや膨らまないような隊列のつくり方など。また、コロナ対策として滞留を避けるため、観光客の多い浅草寺の雷門前は通ることができませんでした。
「警察との協議は、このイベント自体が良いとか悪いとか言われるようなことはなく、手順に沿って淡々と進めていきました。1ヶ所だけ切腹ピストルズのファンだという警察の方に遭遇するミラクルはありましたが(笑)」(清宮さん)
また近隣に対しても、説明に回る必要がありました。隊列が接触する町会と、その対岸の町会をリストアップ(その数130!)し、まずは区ごとに判断を仰ぎます。
「区の担当職員さんから町会へ説明してくださったケースもあれば、直接町会と話を通してください、となるケースもあります。その場合、まずは町会長にコンタクトします。町会連合会の集まりに行って説明したりもしましたね。お祭りが好きなエリアにも関わらず、近年はコロナで開催できてなかったフラストレーションもあったのか、意外にも皆さんポジティブな反応でした」(細田さん)
「そういう地元の皆さんの反応ひとつひとつから、大丈夫そうかないけるかな、と肌感を得ていきました」(清宮さん)
切腹ピストルズは川沿いのテラスを練り歩くだけでなく、テラスのない場所は船に乗って移動します。その移動の際に重要になるのが船着場。隅田川沿いにはたくさんの船着場が存在するものの、正直あまり使われている印象はありません。
所有は東京都でも管理は区が担っているなど、その関係性も複雑なため、連絡会にも尋ねながらひとつひとつリストアップし、管理者を調べて問い合わせるということを繰り返しました。
「今回、演奏船を付けるのに利用した2ヶ所の防災船着場『豊島防災船着場』と『東尾久防災船着場』は、民間活用は今回が史上初かもしれないと言っていいほど、使われていませんでした。でも管理者と交渉する過程で、意外にも、もっと使ってほしいという想いがあることが分かったりもしました。豊島団地の商店街会長も、船着場があることは知っていても使えるとは思ってもいなかったようで、使えるなら使いたいと。お互い噛み合ってない現象があるんですよね。身近にあっても、使えることを知らない、どこに交渉すればいいか分からない、どうやって使えばいいかわからない場所。それを今回見える化しただけで、化学反応が起きた気がします」(細田さん)
「カミソリ堤防でDJをしたりね。こんなことができるんだ!という風景を各所で各自がつくり上げていて、本当にゾクゾクしました」(清宮さん)
膠着している状況を揺さぶり、一歩前に動かす、まさに音楽やアートといったソフトなものを通じてこそできること。場のポテンシャルを見出し、新しい風景を想像するきっかけとして、今回の「隅田川道中」は大きな役割を果たしているように思えます。
個人が自由に振る舞える都市空間を目指して
開催当日の10月29日はスッキリとした秋晴れ。午前10時に、岩淵水門前から隊列がスタートしました。
「この祭りが果たして受け入れられるのだろうか?という不安は直前まで、いや出発してからもありました。岩渕水門で最初に音を鳴らした時は、正直言うと怖かったです。説明はしていても、実際どのくらいの音量になるのかはやってみないとわからないし、かつ、当日はそれぞれの場所でイベントも開催されていて、チェックに行けるわけでもないアンコントロールな状態。ここまでの思い切った設定をして、果たして何か化学反応を生み出せるのか、もしくは大失敗してもうこの辺りに住めなくなるのか(笑)祈るような気持ちでした」(清宮さん)
主催者ですら予想ができないくらい思い切ったことをしなければ、何か次に繋がるようなこと、ましてや地域までその波及効果が及ぶような変化は起こせない。そんな覚悟にも似た思いと共に祭典は始まりました。
下町的な上流から、観光地として賑わう中流、オフィス街が集積する下流へと長い距離を練り歩く中で、エリアごとの反応の違いなどもあったのでしょうか。
「上流の方の歓待ぶりはすごかったです。音が聞こえると「なんだなんだ」と人々が集まってくる。川沿いのマンションのベランダにも人が出てきて手を振ってくれるのが見えるんですよ。
中流は浅草もあり観光地なので、お祭りかな、と携帯やカメラを構えて見ている感じ。
下流はタワマンがそびえ立って、住民の顔があまり見えず、遠巻きに見ているような印象でした。といいつつ、最後の勝鬨橋周辺は人がついてきすぎて、アンコントロール状態に陥りました(笑)。
反応の違いを地域性としてポジティブに捉えたいと思ってはいたのですが、こんなに違うのか、と。流域全体を2日という短期間で捉えることができた初めての試みだからこそ見えた面白みかもしれませんね」(清宮さん)
当日の旗持ちはクラウドファンディングの支援者だけでなく、連絡会の参加メンバーである行政の担当職員さんにもお願いし、リレー方式でバトンを繋いで行きました。クレームも数件寄せられましたが、それに対して区の職員さんが自分ごととして対応してくれたのがとても嬉しかった、と清宮さんは振り返ります。
個人個人が自分の意志で、それぞれの場所で、自由に振る舞う。「隅田川怒涛」から引き継がれるそんな理想を象徴するように、チラシ裏にはクラウドファウンディングで出資してくれた人、スタッフなどの個人名が等価に並んでいます。
「名前が並んでいるだけなので、このチラシではイベントの内容が何も分からないと不評だったんですけどね(笑)。内容は現地に来てしまえば分かるんだからよいだろうと。この祭典に一緒に取り組み、乗り越えた人たち、一人ひとりの血判書のようなイメージです」(清宮さん)
境界をゆさぶるきっかけとしての音楽・アート
「隅田川怒涛」の時に思い描いた、会期を分けて関係性の変化をもたらすような仕掛けは今回実現できませんでしたが、練り歩きパフォーマンスや遊覧体験、川沿いのあちこちでのローカルなマーケットといった複数のレイヤーを重ねることで、プレイヤーと観客の接点を増やし、その境界を揺さぶるような試みは実現できたのではないか、と清宮さんは語ります。
「祭りは元々、厄災を乗り越えるために生まれたもの。コロナでしんどい時を過ごした今、形骸化してしまった祭りをプリミティブなものに返そうというのが今回の試みであり、個人の集まりによるアンコントロールな状態を、それぞれの場所でそれぞれが支えることで実現できました。それができる東京の東エリアって、超ポテンシャルが高いし、改めておもしろすぎる地域だなと。
今後も公共空間や行政とがっちりパートナーシップを組みながら、個々人がやりたいことをやれる環境をどんどん増やして、この流れを止めないようにしていきたい。それがひいては地域の価値も高めていくことにつながるのではないかと思います」(清宮さん)
この「隅田川道中」を通して、地域との関係性に変化はあったかと投げかけてみたところ、印象的だったのが、協賛に入っていた地元企業から、場所の開き方についての相談が増えた、という話。これまで私有地として閉じていた場所を、半公共的に地域に開いていきたいと考えている組織が増えていると感じるそうです。それは私たち公共R不動産が日々のプロジェクトや取材を通じて話を伺う中でも、同様の実感があります。
「水辺に限らず街中も含めて、場所への継続的な賑わいや関係性をどうしたらつくることができるかへの関心が高まっていると感じています。実際に長く使う人たちの方を向いていないと、場所を使いこなせないという認識が、実感と共に浸透してきていると感じます」(清宮さん)
2023年は関東大震災の発生から100年、2024年は荒川放水路の通水から100年を迎えます。トッピングイーストでは、こうした東京の歴史に向き合う作品づくりができないかと、リサーチを始めています。
「たとえば、荒川の掘削は、1911年から1924年というかなり短い時間で行われていますが、その中には朝鮮半島から連れて来られた人や罪人なども数多く含まれていたといいます。彼らは完成後も周辺地域に定住し、迫害を受けてきた歴史があります。私たちの暮らしを支えるインフラや公共空間は、常に多くの人びとの力によってできていますが、個人個人の顔は見えてきづらい。長い歴史の中で誰が公共をつくることに寄与したのか、それを忘れないためのきっかけとなる場づくりがしたいと考えています」(清宮さん)
都市の地縁が薄まりつつある中、清宮さんたちは音楽やアートを通じて、都市や地域に一歩踏み込むきっかけをつくろうとしていると感じます。それは、閉じた濃密なコミュニティでもなく、かといってドライすぎる関係性でもない、オープンでたくさんの選択肢があるつながり方。
今回、水辺という誰にでも開かれた場所で行われた「隅田川道中」は、その象徴的な存在。
今後少しずつプレイヤーが増え、彼ら彼女らが都市のあちこちで自由に振る舞う風景が広がっていく未来をこれからも追っていきたいです。
隅田川道中 公開MAP