鉄やコンクリートに覆われた20世紀の都市の姿。それに代わり今後100年、都市は自然化する方向に向かうのではないか。植物や生物にとって気持ちいい場所は、きっと人間にとっても気持ちがいい場所だろう。この先私たちは、こうした極めて本能的で、動物的な欲求に駆られていくような気がする。
そんな仮説に基づき、新連載「ハビタ的 自然化する都市のつくりかた」を始めます。“都市の風景”という、究極のパブリックのかたち。近代の人間を中心とした都市開発を脱構築する、新たな都市デザインの原理とは。市民、行政、民間、それぞれの立場からどんなアクションが起こせるのだろうか。ランドスケープ・プランナーの滝澤恭平さんと一緒に、これからの自然化していく都市ビジョンについて、そこに向かう手がかりを探っていきたいと思います。
ハビタ的なアイデアを発展させていく対談コンテンツと、全国各地にあるハビタ的な地域や活動を紹介する事例コラムの2部構成で進む本連載。初回は、滝澤さんと公共R不動産ディレクターの馬場正尊による対談です。みずみずしい緑が溢れる都心の公共空間、杉並区善福寺からお届けします。
ハビタ・ランドスケープとは?
馬場 今回の連載のきっかけになった滝澤さんの著書『ハビタ・ランドスケープ』。この言葉には、おそらく人々の生活や営み、都市の風景という、とても広い概念があって、それはもっとも僕らが共有しなくてはいけない究極のパブリックであると思っています。そして最近の気候変動や、大型の自然災害が頻発する状況と向き合ったとき、都市の全体の構造を考えることからは逃れられない気がしている。
そういった背景から「ハビタ・ランドスケープ」という新しい概念をこの連載を通して掘り下げていきたいと思っています。まずこの言葉がなにを意味するのか教えてください。
滝澤 ハビタとはハビタットの略で、生態学の「生息環境」を指す言葉です。ラテン語では「住む」という意味があります。人間は風景のうちに棲み、作り上げる存在。人間と環境の相互関係によって生み出された風景に「ハビタ・ランドスケープ」という言葉を与えてみました。
馬場 なるほど。既存のランドスケープという言葉には、人工的に人間がデザインコントロールしたという印象が強くて、とても近代的な言葉だと思うんだけど、ハビタ・ランドスケープは、それとは違う質感を持っているよね。この概念はどうやって発見されたのでしょうか。
滝澤 木漏れ日が美しい社寺の森とか、まちなかを何気なく流れている水路、あるいは都心の斜面林などを見ていて、なぜ、この場所はこんなに気持ち良いのかと考えたことが原点です。どうしてこの風景はここに残っているのだろうと。気持ちのいい場所のコードを読み解くと、人が棲むために土地に関わった結果、このような風景が日常の中に出現していることが見えてきました。
馬場 なるほど、場所の気持ちよさは、人と土地のやりとりの蓄積が生んだと。
滝澤 人間と土地の相互作用を探ることは、「日本の地域性とは何か?」という思考に発展していきました。本来、日本は地域ごとにすごく多様なんです。江戸時代にできた藩は、約300の小さな流域の単位がそのまま藩のシステムになったと言われています。流域とは、降った雨がその地形によって水系に集まる、大地の領域のことです。山があって川があって水田ができて、それが一つの自立圏になっていきました。
馬場 地域の単位がコミュニティ以前に流域なんですね。自然がつくる地域の単位かぁ。藩ってすごく合理的にできたんですね。
滝澤 合理的ですよね。そもそも縄文時代に日本人が始まった当時は、平野部に人は住んでおらず、弥生時代に灌漑技術ができて、人口が増えてきた。水をコントロールできるようになって、人間が土地を改善していくことが何世代にもわたって続き、いまの国土ランドスケープの原型が出来上がっていった。
滝澤 人間が棲みやすくするために作り上げてきたシステムを、僕は「風土」と呼んでいます。つまり、風土=インフラストラクチャーなんじゃないかと思っているんです。風土とは、全体を包括したひとつのシステムで、その中には、生き物もいるし、人々の仕事もあるし、社会を構成するいろんな要素が含まれていて、それらが持続的に循環するネットワークやシステムなのではないかと。
馬場 インフラストラクチャーって、ものすごく人工的で巨大で、テクノロジーによるイメージがあります。だけど、滝澤さんの感覚では、土木的、技術的に作り過ぎてきたものを、もう一度、生息環境にちょっと寄り添うかたちで、「風土」としてとらえ直していこうとしている。
僕もどこか似たことを考えていました。いまの都市デザインや風景を見ると、この100年くらい、人間は自然を人工的にコントロールしようとした時代だったように思います。全部を人工物で覆い尽くしたいという強い欲望にかられて、都市部では土をほとんど見なくなりました。だけど、今では土や緑の有機物でもう一回覆い尽くしたいという、逆の欲望が強く働いているような気がしている。みんな必死に自然な風景に戻そうと、100年前とまったく逆のことに情熱を傾けているような気がして。
そんなときに、滝澤さんの「ハビタ・ランドスケープ」という考え方に触れて、僕がぼんやり思っていたことをすごく論理的に、必然であると説明してくれているような気がしたんですよね。
滝澤 そうですね。見失っていたことを取り戻す感覚でもあります。そして、風土インフラストラクチャーって、地域デザインの原論になるんじゃないかなと思っています。地域をデザインするためには、地域の構造を把握しなければいけません。しかし、地形とか地域環境や生態系の循環がどう存在してきたのか、そういった背景をすくい上げるという一番大事なことを、この100年は忘れてきたように思います。
馬場 とにかく近現代のヒューマニズムや資本主義って、世界中のあらゆる人に平等に物や幸せを与えなくてはいけないという概念があった。それが均質化をよんできたんだよね。良かれと思ってやっていたけど、結果的に地域の個性を奪うことになり、風土とのギャップを生み、あれは本当に正しかったのだろうか、という疑問にぶち当たっている。圧倒的な差異や風土を許容するほうが良かったのではないか、という考え方もある。
「ハビタ・ランドスケープ」では、エリアを狭めて、小さな領域の中で最適化していく、そこで経済という意味ではなく、エコシステムがちゃんと回っている状況をつくりだすことが、実は次のヒューマニズムだと、それをはっきり提示しているように感じます。
多発する自然災害。
風土に反した都市開発がもたらしたもの
馬場 最近の気候変動で自然災害が多発していますよね。想定を超える洪水が発生して、都市部にも浸水被害が起きています。誰もがもう少しランドスケープについて考えなくてはいけないし、行政も意識を向けなければいけない時期に来ている気がします。そこも“ハビタ的”な思想に結びついてくるのではないでしょうか。
滝澤 先日の大型台風では(2019年10月)、川崎周辺に大きな浸水被害がありましたよね。かつて川崎は水田でした。約400年前に多摩川から取水する二ヶ領用水が開発されて、川崎の低湿地を全部水田にし、稲作が行われていた。江戸前鮨は、川崎産のお米と隅田川河口の東京湾奥で採れた魚を使っていたといいます。しかし、近代に入ってからは、多摩川の玉砂利が東京のビルのコンクリート原料になり、川から砂利がさらわれっていった。どんどん川底と水面が下がり、二ヶ領用水に取水することも難しくなり、宿河原に強固な取水堰がつくられています。
しかし高度経済成長以降、水田の宅地化が進み、生活排水で用水の水質が悪化し、農業用水としても使用できなくなります。結局、都市の人口増や発展と同時に、川が犠牲になっていったんですね。以降、湿地だった川崎エリアで、均質な住宅地や武蔵小杉の再開発など、土地の履歴を読まない開発が急速に行われていきました。
馬場 その土地が本来持つ性質には、逆らえないということですね。
滝澤 かつてどんなふうに川が流れていて、昔の人達はどうやって土地を守り、使っていたか。さすがに水が溢れてくる低地は避けて、少し高台に家を建てて、そこより低い場所は田んぼとして使っていました。そうすれば、たとえ川が氾濫しても、泥にはミネラルや栄養分が含まれていて、定期的な氾濫によって水田の地力が上がっていきます。そういった氾濫を前提とした土地利用もかつては日本各地で行われていました。
馬場 昔は一言に災害ではなく、恵みでもあったんですね。
滝澤 日本には、天災を恵として感謝しうまくこなすDNAがあります。それがいろんな信仰や神社の中にも表れていますよね。
馬場 なるほど。だから持続可能な、もっと長い単位で人間が暮らすことを考えたとき、もう一度自然や地形、もしかしたら昔見てきた信仰からも教えをもらって、もう一度都市やまちを見つめ直す。ハビタ・ランドスケープには、そんなメッセージもあるんですよね。
滝澤 意識して街を見れば、その痕跡は見えてくる。縄文時代から脈々と続いてきた土地利用の在り方とか、システムが意外と発見できるんですよ。それらは1960年代以降の高度経済成長期に急速に失われつつあり、2020年は、その手掛かりが残されている最後のタイミングなんじゃないかと思っています。
馬場 今回の連載では、滝澤さんにいろいろな都市や地域の事例を紹介してもらいます。そこから土地の見方や、先人の知恵のようなヒントがもらえそうですね。
イギリス・レッチワースから学ぶ、
理想的な都市のあり方
馬場 話は少し戻るけれど、近代に入って世界中ほぼ同じ方法で、人間中心の都市開発を進めてきた。あまりにも早く大規模に人が増えたし、それに追いつくスピードで開発をしなくてはいけなかった。いいも悪いも、その時代その状況の中では、それしか思いつかなかったのだと思う。それを否定するわけではないけど、今は人口が減り、豊かさの価値が変わろうとしてきている。それに適応した方法をいま一生懸命考えようとしているんだよね。
滝澤 ハビタ的都市とは、なんだろう?と考えたとき、大きなヒントになったひとつに、イギリスのレッチワースがあります。100年前にエベネザー・ハワードが田園都市株式会社を作り、自分で開発を行ってレッチワースという町を作っていった。おもしろいのは、土地を共有して信託所有しているところですね。賃貸の収益をインフラや公共財に還元していく。人口も3万人に、住宅率も20%くらいに止め、グリーンベルトで都市を包む計画論があった。
それがニュータウンになると、大規模な近代の資本主義の効率と欲望によって均質化してしまう。イギリスは産業革命で徹底的に国土が荒廃して都市問題が起こり、一旦ボロボロになった。そこで19世紀末から20世紀初頭に、中産階級たちが自分たちの理想郷を作ろうとしていたんですよね。
馬場 数年前にレッチワースに行ってきました。100年経って一体どのような風景になっているのかを確かめたくなり行ってきた。すると、風景は保たれていたと言っていいと思う。塀がなくて、全部領域を区切っているのは緑だったり、過度な建ぺいになっていなくて、いい具合に離散して家々は建っていた。大手チェーン店は入ってきていなくて、ローカルビジネスがバランスよく残っていたし、ある領域から拡大せず適度な大きさが保たれていて、土地の価値も落ちてない。
株式会社をつくって、土地の所有や信託システムを行政の官の上に民が運営しているシステム。それが100年経ったいまでも、うまく機能している証拠なのではないのかな。
滝澤 実は、レッチワースの思想は日本にも渡ってきていて、小林一三が阪急沿線住宅地や、渋沢栄一が田園調布を作り、大正モダニズムが盛り上がった時代がありました。
今日のロケーションに選んだ善福寺エリアもその影響を受けて、緑豊かな住宅地や公園、池ができました。ここは歴史的に風致地区*であり、最初は住民たちが自ら投資して池を作り、釣り堀やボートを運営して売り上げて自分たちでメンテナンスしていたという、まるでレッチワースのような思想が育まれてきたエリアです。
*風致地区とは、1919年に制定された都市計画法において、都市内外の自然美を維持保存するために創設された制度。指定された地区においては、建設物の建築や樹木の伐採などに一定の制限が加えられる。「風致」とは、「おもむき、あじわい、風趣」の意。
滝澤 そういう意味で、日本も含めて世界中の都市の方法論には、マスとオルタナと、主に2つあったんじゃないかと。均質化に向かう方法と、レッチワースのように、都市の中にいい規模感のコミュニティーとランドスケープが融合した理想的なエリアを作ろうという2つの手法。ハビタ的都市を考えたとき、後者の発想をもう一度取り戻すことも出来るんじゃないかなって思っています。
馬場 たしかにレッチワースの仕組みや思想を、パブリックとか都市政策の視点から考えると、もっと違うものが見えてきそうですね。
滝澤 レッチワースの思想をロンドン全体に普遍しようとして、1943年に大ロンドン計画ができました。そして、2019年7月には、ロンドンはナショナルパーク都市になると宣言しました。都市が自然化したがっているという話でいうと、まさにロンドンはグリーンなインフラをちゃんと発明し、残してさらに進化しようとしています。
馬場 ロンドンのナショナルパーク都市構想と田園都市論が地続きなんですね。
滝澤 18世紀のコークス高炉発明により石炭が使われる前の時代は、イギリスは鉄の生産のために木を伐りまくり国土から森林が消えてはげ山になってしまった。そこで世界中から植物を集めてイングリッシュガーデンが生まれた。あれって人工的なものなんです。
馬場 反動的でもあるよね。
滝澤 レッチワースをつくったことは反動的でありながら革新的な行為ですよね。産業都市化に対して、ブルジョワジーたちが自分たちの理想郷を作ろうとしていたわけですから。
馬場 どこの都市にも光と影はありますね。日本でもロンドンのナショナルパーク構想のように、大きな概念で都市政策を打ち出す自治体が出てもおかしくないはずですが、出てこない。日本の都市政策は、近代の都市計画の方法論をまったく超えられていないのかもしれない。ゾーニング主義から相変わらず離れられないし、大きな概念が持てないでいる。
だから、大きな政策とボトムアップな局地的な政策と、一番上からと一番下からと挟み撃ちしていくような政策を提言していきたい。エリアリノベーションは極めてゲリラ的な提案です。それと同時に解釈の幅は広いけど大きな価値観や目標を共有する、大きな政策やそれを実現するOSをちゃんと定義することが大切だと思っています。
(つづく)
撮影:森田純典
滝澤 恭平
ランドスケープ・プランナー/編集者
ハビタ代表、株式会社水辺総研取締役、「ミズベリング・プロジェクト」ディレクター、『ハビタ・ランドスケープ』著者。1975年生まれ。大阪大学人間科学部卒業、角川書店に編集者として勤務。2007年工学院大学建築学科卒業、ランドスケープ設計事務所・愛植物設計事務所にランドスケープデザイナーとして勤務後独立。2014年東京工業大学大学院社会理工学研究科修士課程修了。以降、九州大学大学院工学府都市環境システム専攻博士課程にて都市河川再生とグリーンインフラの研究を行う。2015年水辺総研を共同設立、全国の水辺のまちづくりや河川再生を精力的にサポート。2019年、日本各地の風土の履歴を綴った著書『ハビタ・ランドスケープ』刊行。地元の水辺として、東京杉並区の善福寺川を市民力で里川にカエル「善福蛙」で活動を行っている。