東京都心から西へ約40km、新宿駅から電車で約1時間20分走ってたどり着いたのは、東京都西多摩郡瑞穂町。東を見れば狭山丘陵の緑が広がり、都内とは思えないほど自然が近くゆったりとした時間が流れている町です。訪ねたのは暑い夏の日でした。瑞穂町図書館へ向かって歩いていくと次第に緑が広がり、セミの鳴き声が聞こえてきます。
正面のエントランスに入ると、カウンターから「こんにちは」とスタッフのみなさんの声。そういえば図書館で挨拶をされることは初めてかもしれないなぁと、迎えられているような嬉しい気持ちになりました。館内では木製の家具やアーチの壁などやわらかな空間のなかで、ソファーにくつろいで本を読む人や夢中になって絵本を広げる子どもたち、机に向かって勉強する学生など、まるで家にいるかのような安心感と穏やかな時間が流れていました。
瑞穂町図書館は大規模な改修工事を経て、2022年3月にリニューアルオープンしました。
「本や人とゆるやかにつながり、自分の居場所と感じられる図書館」
これが新図書館のコンセプトです。実際に訪れてみると、コンセプトがそのまま体現された風景がそこにはありました。
今回は館長の町田陽生(はるき)さんと司書の西村優子さんに館内をご案内いただきました。この居心地のよさはどのように実現されていったのか。住民参加型ワークショップや建築設計、開館後の運営まで、ソフトとハードが連携して進められたリニューアル計画のプロセスに迫ります。
減築と増築で快適な居場所をつくる
この建物は1973年に建てられ、その後2回の増築を経てきました。設備の老朽化が目立ちエレベーターがなく車いすへの対応も不十分だったため、誰もが利用しやすい快適な施設をつくろうと改修プロジェクトが立ち上がりました。建物の大部分は築45年が経過していたものの耐震診断では基準を満たしており、既存の建物と緑豊かな周辺環境をいかして改修することになったといいます。
今回の改修計画では、既存の配置を活かしながら減築と増築を組み合わせて進められていきました。3階建だった建物は2階の一部と3階をすべて撤去し、蔵書量を確保するために1階と2階に中央棟と北棟を増築することになりました。
住民の声を拠り所に住民参加型のワークショップと運営体制
瑞穂町図書館リニューアルのポイントは住民参加型だったことにあります。基本計画の策定段階から住民の意見を聞くワークショップが行われ、それらが設計やサービス、運営に取り入れられていきました。
ワークショップの実施回数は全部で6回。基本計画の策定から設計までに3回実施し、どんな図書館にしていきたいか、住民が議論を重ねて基本計画や設計に反映されていきました。工事が開始した後、開館準備の段階でも3回行われ、新しい図書館の利用方法についてディスカッションが行われました。
「改修後はどんな方向性の図書館にするのか。内部でもいろんな意見が出て模索するなか、住民のみなさんのご意見をお聞きすることで改修の拠り所としていきました。そして同時に、改修前から住民のみなさんに関わっていただくことで、“自分ごと”として図書館について考えていただけたらという想いもありました」と館長の町田さんは振り返ります。
開館準備段階のワークショップ実施の時期はコロナ禍だったため当初の予定よりも大幅に人数を制限して開催されましたが、幼稚園児の親子や学生、現役世代やお年寄りなど多様な世代の参加があったとのこと。
こうして生まれたのがこちらのコンセプトです。
「本や人とゆるやかにつながり、自分の居場所と感じられる図書館」
「誰もが『自分はここにいていいんだ』と思える場所を目指して日々運営しています」と西村さんは話します。
例えば、増築された北棟の2階に設置された18mのロングソファー。ワークショップで出た「緑豊かな景色を取り入れた場所にしたい」「リラックスできる場所がほしい」という意見をもとに、周辺の緑を借景とした空間が出来上がったそうです。
そのほか、選書のジャンルや飲食にまつわるルールなど、ソフトにもハードにも住民の意見が散りばめられていきました。
さらに住民との協働の成果として「図書館ファンクラブ」が誕生しました。ワークショップの参加者を中心としたメンバーから自発的に声があがって生まれたものです。
10名ほどのメンバーによってさまざまなイベントの企画や運営が行われており、西村さんもファンクラブの一員として活動に参加しているとのこと。図書館スタッフとの連携もうまくはかりながら、定期的にさまざまな企画が動いているそうです。
テーマに沿った見つけやすい本棚づくり
リニューアル後は全館にテーマ配架が取り入れられています。
テーマ配架とは、独自に作成したテーマに沿って本を並べていく配架のこと。生活に密着する本が並ぶ「QOL(Quality of Life)」や子育てに関する本や子ども向けの本が並ぶ「みずほ育」、10代の若者の生活や気持ちに寄り添う「ティーンズ」、地域について学んだり活動するための「みずほ学」など、自身の目的や興味で本を探しやすくするための配置になっています。
一般的な公共図書館で取り入れられている「図書分類法」ではなく、より書店に近い感覚で本が探せるため、子どもや若い人を中心に本が見つけやすくなったという声があるそうです。
子どもに向けた読書活動推進
瑞穂町図書館ではリニューアル前から子どもに向けた取り組みが行われてきましたが、リニューアル後は子どもの来館数が増加したことで、子どもを対象としたイベントがさらにたくさん実施されています。なかには図書館ファンクラブが企画、運営を担うものもあり、謎解きイベントや読み聞かせ、ポップやブックカバーづくりなどが実施されたり、「ジュニアリーダー」という小学生から高校生までが集まるメンバー組織が未就学の子どもたちに読み聞かせを担当することもあるそうです。
2015年から町内の5つの小学校と2つの中学校と連携して、学校図書館司書と情報連絡会を年2回開催しており、2023年からは学校図書館司書のリクエストにもとづいて、図書館から学校図書館に本を届けるサービスを開始しました。これまでは学校の司書さんが図書館に本を借りに来ていましたが、一度に運ぶ冊数が限られていたため、図書館から直接届けることでより多くの本を貸し出すことができているそうです。
また、「春のイチオシ」「秋のイチオシ」」という推薦図書の取り組みも行なっており、年2回の読書週間に合わせて推薦図書のポスターを作成して学校に配布したり、図書館で本の展示をしているほか、「ブックスタート支援」という町の保健センターと連携した取り組みでは、子どもの定期検診の機会を活用してお母さんたちに本のおすすめを伝えたり、本のリストを提供したりしているそうです。
子どもに向けた図書館のあり方として、町田さんと西村さんはこのように話します。
「実は瑞穂町には書店がなくなってしまいました。いまはネットでも本が買えたり電子書籍もありますが、たくさんの本に囲まれてその中から選んだり、ランダムに新しい情報と出会えるという体験は子どもにとって大切なことであり、それは実物の本があるからできることです。少しでも本との接点を提供したり、子どもの可能性を広げる場所でありたいと思っています」(西村さん)
「ワークショップには未就学の子どもも参加してくれたのですが、いまではその子が小学生となってこの図書館を使ってくれています。幼少期の図書館での体験はその後の学びや経験に大きく影響すると思うんです。だから子どもたちにとっての居心地の良さも大切にしたいですし、図書館へ行くことのハードルを下げていきたい。人生のいろんな場面で図書館を使ってもらえたら嬉しいですね」(町田さん)
ソフトとハードが連携した公募のプロセス
リニューアル後、コロナ前と比較して来館者数と貸し出し数が共に伸びており、特に来館者は倍以上に増加しています。つまり本は借りなくとも、ただ訪れている人が増えているということ。多くの人が「居場所」としてこの図書館を訪れていることの現れです。
どのようにしてコンセプトの通り、居心地のいい環境を実現していったのか。その理由のひとつにはソフトとハードが連携した公募のプロセスにあります。
今回のプロジェクトはサービスや運営などのソフト面と設計や設備に関するハード面の計画を同時進行させるために、基本計画から基本設計、実施設計までを一括した公募になったといいます。
公募型プロポーザルで設計者を選定する際には、設計事業者が図書館の運営やサービスについて支援できる会社と組んで応募する形式がとられました。つまり図書館のコンサルティング企業をチームの一員とした建築設計事務所を公募することで、あらかじめソフトとハードをチームアップしておくということです。
基本計画時に行われた住民参加型ワークショップも設計業務内に組み込まれており、協力事業者がワークショップを運営し、そこで出た意見をまとめ、スムーズに設計に結びついていきました。その結果、1年半の間に基本計画から基本設計、実施設計まで進めることができたといいます。
また、今回は基本設計が仕上がった後も構想通りに建物が建設されるよう設計事業者がその後の工事監理も担っているほか、「配架等支援業務」として協力事業者が配架や運営にまつわるワークショップも実施しています。
このように、基本計画、基本設計、実施設計、工事、そしてオープンまで、それぞれのフェーズが分断されることなく、ソフト(運営)とハード(設計)が連携し合う公募の仕組みがコンセプトの実現性を高めています。
禁止せず、対話から考えていく
この図書館には一切の禁止事項やルールがないことも居心地の良さに繋がっているように思います。
まずは会話してOK。入り口で職員のみなさんから「こんにちは」と挨拶があることも「声を出してOKですよ」というメッセージなのかもしれません。1階には子どものコーナーが中心にあり声や音が許容され、2階は大人向けの本が多く落ち着いて過ごす雰囲気があり、ゾーニングによってモードが分けられているのもポイントです。
また、一部の会議室と視聴覚ブースをのぞいて、パンやおにぎりなどの軽食であれば館内のどこでも飲食可能となっています。2階にあるロングソファーは座面が広く実に快適そうで、靴をぬいで足を伸ばしながら雑誌を見たり、パンを片手に本を読んだり、あぐらをかいてゲームをやっている子どもたちの姿などがありました。自宅のリビングさながらの光景です。
飲んだり食べたり、話したり、ゲームで遊んだり。本を読んだり、読まなかったり。この場所には公共施設特有の緊張感がなく、誰でも受け入れ、自然に振る舞う様子が見られます。とはいえ秩序を保ち、相手を尊重しているからこそ居心地のいい状態が維持されている。これは簡単なようですごく難しいことのように思います。どのように運営しているのか、町田さんにコツを聞いてみたところ、こんなエピソードを教えていただきました。
「リニューアル直後、ボックス席のテーブルで机に足をあげて読書をしている人がいたようで、『図書館という公共施設でその座り方はどうなのか』とご意見をもらったことがありました。確かにその通りだと思いましたが、よく考えると、その人は自分の居場所として快適に過ごしているとも言えるわけです。普通なら直接注意をするところですが、私たちが目指しているのは居心地がいい図書館です。だから注意はしませんでした。
解決策として『誰もが利用しやすい場所であるために、わたしにできることはなんだろう』と問いかけるサインを出してみると、自然にそういった行動やご意見がなくなっていきました。なにか気づいたときには、スタッフがそっとお声がけすることもあります。禁止の表示をするのではなく、みんなで守っていくために知恵を出していくことが大切ですよね」
誰もが「ここにいてもいい」と思える、普通のようで特別な図書館。町の人々にそっと寄り添っていく存在であり、これからも住民から長く愛されていくのだろうと思います。
みんなにとっての「居場所」をつくることは公共施設の役割として究極のエッセンスなのかもしれない。瑞穂町図書館の穏やかな空間を体験して、そんな気づきを得ることができました。