保存活用が望まれた、およそ築100年の石蔵
埼玉県小川町は、東京から約1時間半強、人口約3万人弱の町です。和紙や鬼瓦などの伝統技術や、酒造り、野菜の有機栽培などで知られ、近年は移住希望者が増加し、メディアに取り上げられることも増えてきました。今回ご紹介する石蔵は、町のまんなかに位置する小川町駅から徒歩5分、表通りからは少し奥まった場所にあります。大谷石で出来た、とても大きな石蔵です。
この石蔵は織物をつくる地元企業が所有するもので、現役時代は人や織物の出入りで賑わっていたようですが、近年はあまり使われていませんでした。しかし、関東近郊では大規模な石蔵のため、歴史的な建物を大切に使い続けたいと活動する人たちに「再発見」され、以降、石蔵をイベント会場として使いたい人が現れるようになります。楽器の演奏会、写真の展示会、映画の上映会、ワークショップイベントなどが、オーナーさんの理解を得ながら開催されてきました。
石蔵の魅力を感じるうちに、何かしらまちに継続的に開かれた場所にできないだろうかという機運も高まっていきました。しかし、そうするには耐震補強を施したり設備を入れるなどの必要があり、踏み切るには至っていませんでした。
石蔵保存活用協議会の設立と公的支援
東京都心部からほどよく離れた小川町。基本的には、就学や就職を機に転出し人口が減少するという典型的な人口動態ですが、以前から、この地の何かしらに惹かれて移り住む、ちょっと変わった人が集まる町ではありました。
これが地方への移住意識や多様な働き方へのニーズの高まりを受け、さらに新型コロナウイルス感染症の拡大の影響もあり、都心部から小川町への移住を検討する人が増えてきました。一方で行政の課題として、テレワーク環境の不足や、サテライトオフィスを検討する企業のニーズに対応できていないこともまた、顕在化することになりました。
小川町は2020年度、歴史的建造物である石蔵の魅力を活用して、こうしたニーズに応えるサテライトオフィス、ワークスペースを整備しようと決めました。ちょうど良いタイミングで埼玉県の支援制度ができたことも、これを後押ししました。ただ、公的資金を用いることの制約で、採択年度内に整備工事を終える必要がありました。
限られた時間の中で石蔵活用プロジェクトを進めるため、まず「石蔵保存活用協議会」が設立されました。構成員は、森林資源や地域経済の循環の構築に向けた連携協定を2019年11月に締結していた小川町・地元NPO法人・民間企業の3者と、建物オーナーを合わせた4者です。この協議会が、建物オーナーから石蔵を借り受け耐震改修工事を行う主体となりました。
協議会の構成員である小川町は協議会の事務局や公的資金の手続きを、地元NPO法人は施設の運営を、民間企業は改修工事の構造設計監修を担いつつ、改修工事の設計・施工は地元の工務店が主体に進めることとして、プロジェクトチームが組まれました。
石蔵を活かした耐震改修と地元木材の利用
石蔵の入り口が狭いために重機や部材の搬入に制約があることや、内装を解体して現地を確認しなければ構造計算ができないこと等の制約がありつつ、予算も限られ、短期間で工事を終える必要がありました。そんな厳しい条件であったにもかかわらず、設計・施工・デザイン・運営など、プロジェクトチームがそれぞれの領域で力を発揮し、無事に工事が完了しました。
大谷石に囲まれた石蔵の良さを活かしながら、フロアの使い勝手も確保するために、石蔵の中に大きく組んだ鉄骨の枠を入れ込む工法が採用されました。鉄骨の太さや位置の調整に苦心しつつ、フロア内に柱のない大空間が生まれました。真ん中に配された、巨木を切り出したテーブルが圧巻です。内装に使われる木材はすべて町産材が利用されています。
地域循環を意識したクラウドファンディング
冬はとても床冷えする小川町。冬の暖房が課題となっていました。改修資金に余裕がないという事情を抱えつつ、この石蔵らしい暖房を検討した結果、「薪ストーブ+床暖房」という案が採用されました。またその資金は、クラウドファンディングで集めることとなりました。
クラウドファンディングは、石蔵を運営する地元NPO法人が実施しました。この石蔵が地域のロビーとして利用されるとともに、地域循環の一翼を担うことを目標に掲げ、その第一歩として薪ストーブの床暖房を設置したいと呼びかけました。結果、目標額を上回る達成率137%でフィニッシュし、無事に設置することができました。
コワーキングロビーの本格的な運営はこれから
石蔵は、2021年5月に『コワーキングロビーNESTo(ネスト)』としてオープンしました。サテライトオフィスやコワーキングスペース、イベントスペース、カフェとして利用できる施設です。感染拡大の防止に留意しつつ、近所にできたワーキングスペースとして利用する方、打ち合わせに利用する方、カフェスペースに気分転換に訪れる方など、少しずつ地域にも知られ始めた感があります。イベント会場や展示会に使いたいという問合せも来ているようです。
筆者もオープン後、週1日程度通っていますが、ここにいると、これまで会う頻度の少なかった方と話をする機会が増え、新たな繋がりが生まれています。「コワークしないコワーキング」と揶揄されることも多いコワーキングスペース。本格的な運営はまだまだこれからですが、今後も地域に開かれたコワーキングロビーとして、より多くの方に使ってほしいと思っています。
公民連携の視点から見ると
公共的な空間を生み出すことができるのは、行政が持つ公共不動産だけとは限りません。民間不動産を活用して民間の力だけで実現している例も多くあります。しかし、民間ではなし得ない、行政が関わるケースならではの強みもあります。今回は、公共事業でも民間事業でもない、中間組織的なプロジェクトチームを組成したケースです。
ポイントを整理すると、以下のようになります。
- 町の歴史的建造物を活用する機運を背景に、具体的に石蔵を使おうとする動きの中で、行政・地元・民間が協働し、不動産オーナーの理解を得るなどのコミュニケーションの積み重ねがあったこと。
- 町の政策的な課題として、テレワーク環境やサテライトオフィスの整備が求められていたところ、社会状況の急激な変化と制度拡充等の機会をとらえて、町が迅速に動いたこと。
- 一般的な公共発注ではなく、官民が混在するプロジェクトチームを組成。設計・施工・デザイン・運営を一体的に検討し、難工事を短期間で完了したこと。
特に3点目、行政が主導する施策として動かしつつ、目的を達成するために最も有効な方法を選択し、一般的な公共発注の形にこだわらなかったことが、今回のケースでは特徴的です。
仮にそうしていたら、設計と施工は段階的に発注され、時間を要しただけでなく、設計段階で運営の視点を反映させることは難しかったでしょう。まして今回は公共不動産ではなく、民間不動産を活用して進めるプロジェクトです。不動産オーナーも含めた「協議会」として進めることが、結果的に有効かつ妥当な選択肢であったと言えます。
こうした中間組織的なプロジェクトチームを組成する形態は、公共R不動産から現在販売中の『公募要項作成ガイドブック』で触れている「ネオ三セク」とはまた少し毛色が異なりますが、バリエーションの一形態として捉えることもできるかもしれません。
次回は、まだほかにもある、小川町の古い建物を活用した公共的な空間を取り上げたいと思います。小川町で生まれている公共的な空間には、地元NPO法人など、何かしら地元に密着した組織的な活動が関連しているという共通項がありました。(続く)