あらためて認識する社会教育と社会教育施設の多様性
このタイミングで、図書館、体育館、公民館…といったそれぞれの施設ではなく、あえて大きなくくりとしての「社会教育施設」を認識できたことは、これからさらに公共不動産活用を考えていく上で、とてもよかったと思えました。
学校教育でも家庭教育でもない、その他全部を包含するのが社会教育なんですね。市民のニーズに対応していくスタンスもあれば、市民へ啓蒙というか、あり方を提示していくスタンスもある。多様なスタンスの多様な担い手がいる。
公民連携の理由が、行政公的セクターでは担っていけないからといった「やむを得ない」事情だけではないのがいいですね。核となる部分は行政が担いつつ、民も入って担うことで多様性が生まれるというのは、とてもポジティブですね。
小中学校はある面、公的セクターが義務教育という教育サービスを提供する場とも言えるけれど、社会教育施設は、市民が市民自らの幸福を実現していくために活動し行政はそれを支えるという、行政と市民の信頼関係が現れているように感じたな。
行政において、社会教育を担う部署が根拠法や施設ごとに分かれてることも、縦割りになってしまうという側面がある一方で、社会教育を役所総出で取り組むんだ!という姿勢を現すことができるとも言えるかもしれない。
教育施設というと、かつては啓蒙の意味合いが強かったのかもしれないけど、時代が変わって「教わる場所」から「学びにいく場所」に変わってきていますよね。ただ、まだ「教育」という言葉には、自ら能動的に学んでいくというより、教育サービスを享受するというイメージが強い気がしています。そこが変わるとさらに良いのではと感じました。
自主学習も含めて「生涯学習」という概念で社会教育を包含して言い換えることもあるようですが、そこに商業的サービスとしての学習が含まれることに違和感を唱える方々もいたりするなど、専門的にはなかなか言葉遣いが難しいみたいです。主義主張が色々あり、その担い手もまた多様であるということも含めて「社会教育の多様性」と受け止めました。
社会教育施設というと広い概念で、それぞれの施設は利用者層も違えば、運営の仕方も違うし、空間の特性も違う。従来の考え方だと、何か変革を起こそうと思うと、公民館や図書館といった施設ごとに対応していくことになりそう。そうではない、社会教育施設というくくりだからこその「変革の種」が見えてくるといいですね。
社会教育施設の多様なあり方を生むのは市民のチカラ
「社会教育の多様性」の中には、公共施設という「ハコ」の中で実現できるものと、民間も含めた担い手が出てきて「選択肢」として実現するもの、その両方の課題が含まれているように感じました。ゆるく「〇〇的」なものまで視野を広げてみると、あらゆるところに社会教育の要素があるとも思えます。
建築設計をやっている身からすると、公共施設という「ハコ」も多様です。例えば、体育館は構造的な工夫をして大空間を実現していたり、床は二重床になっていて、運動している人の脚の負担を軽減しています。図書館は、大量の本を置けるように、構造計算上かなり大きな荷重を受けられる強い床をつくっている。活用する場面では、体育館であれば、そうした大空間を生かした使い方ができるし、二重床はあとから簡単に床下の電気配線ができるのでオフィスのように各所にコンセントを設置する使い方にも対応できる。図書館であれば、グランドピアノとか重いものを置くような使い方ができる。そのような「ハコ」がもつポテンシャルへの視点も、公共施設を選択するきっかけになるのかもしれませんね。
これから公共施設再編が進んで、閉鎖する施設がどんどん増える一方で、社会教育はとても重要です。先日、とある企業への取材でも、公的セクターが提供する教育プログラムでは対応できていないことを、どんどん民間が取り組んで提供していこう!という話になりました。私たちが公民連携で公共不動産活用に関わる時も、こうした視点を背景に取り組むことが大事だなと思いました。
図書館をはじめ、新たに注目される社会教育施設の事例は、尖らせる方向のものが出ているじゃないですか。確かに「多目的です、誰でも何にでも使えますといって誰も何にも使われない空間」という「あるある」に対して、コンセプトや利用者を尖らせた方向での解決策が注目されるわけだけど、かといって限られたリソースに対して、ぜんぶ尖った施設になってしまっていいんだっけ?という疑問もあります。溢れるものも出てきてしまうんじゃないか、という。
公民館がそれを受け止める施設なのかもしれないですが、公民館って一見無個性なハコですよね。50年前はこうしたハコでも歓迎されたんですかね?
僕が子どもの頃は、団地の集会所も公民館もよく使っていたなあ。でもその活動は行政サービスとして提供されていたわけではなくて、住民みんなでやっていたこと。それがいつの頃からか、税金を徴収している行政が私たちにサービスを提供しなさいよ、という消費者的なスタンスにシフトした気がする。
だから、多様な活動ができるハコを用意した、までは間違ってはいなくて、その使い方・使う側に課題があったんじゃないか、とも思える。
この辺りもコロナをきっかけに場所に集まる場所があることの価値が見直され、機運が変わってきたのかな、とも感じていて。いまはまだそのありがたみをみんな噛み締めているけど、これがまた日常に戻ると忘れてしまうかも(苦笑)。忘れないうちにあらためて噛み締めておきたいですね。公民館も正直、書道や囲碁をしているだけの場所というイメージがありましたけど、これからは「自分もこんなことをやってみたい」という人が増え、そんな人たちにますます使いこなされていって欲しい、そんな期待もあります。
公共施設を「公共サービスを提供する場・受ける場」として考えると、その場所や機会も行政の資金的にも限度がある。だけど「市民が自分達で何かをするために使える場」として考えて公共施設を見直してみると、実はその余白はいっぱいある。それを伝えていきたいよね。
例えば道路活用でも個人単位ではハードルが高くても、町会名義でお願いすると、内容についてそこまで詳細な説明をしなくてもOKが出たりします。自治組織が民主主義を担保していると見なされるからこそ、いろんな活動が容認されているんだろうと感じます。では、自治組織では受け止めきれず、行政とも信頼関係に満たずに溢れてしまうものはどうするのか?というあたりも気になってきます。
市民のチカラは地域ごとの濃淡があって、相互作用でどんどん面白い活動が生まれる地域と、その逆の地域とがあるように見えます。民間企業が関わるからといって画一的サービスになる訳でもなく、結局は市民のチカラ次第というところがありますね。
「社会教育施設」に関わる公的セクターの役割
ここまでは市民側の話に寄ってきたけど、では行政の立場からはどう捉えたらいいんだろう?
事例でも挙げられた「旧・泉北すえむら資料館」の設計者・槇文彦氏は、この資料館がいずれ地域の「コミュニティ・ミュージアム」に発展することを期待していたんですよね。この思いを受けて、市民が運営する博物館があってもいいのではないか?という広い観点で、区画の一部を「博物館」のままにしています。こうして生まれた「スペース.スエムラ」は、一見、カフェスペースのようでもあり、なんでも好きなことをしていい場所に見えるのだけれど、あくまでもここは「わたしのまちの、くらしの博物館」。これを前提に利用者とコミュニケーションを取っています。
ホントに「博物館」なんだ!
行政は、それって図書館っぽくないからとか、公民館っぽくないからと否定するスタンスではなく、市民が求める公民館、図書館、博物館のあり方を広く捉えて、一緒に実現していくような、そんな幅広い判断基準の運用ができるといいなと思います。また、行政からも市民に向けてそんな活用を期待していると表明したりしてほしいです。
まさにそれが社会教育の原点という感じがする。行政も市民も原点に立ち戻って、判断したり活動したりする、そんな過渡期にいるのだな。市民・企業・行政含めた自分たちの望む社会教育って?社会教育施設って?と問い続ける必要があるんだろうね。そしてそれはきっと、社会教育施設だけの話じゃないんだろうな。
そういえば、社会教育施設のマスタープランってあるんですかね?自治体として社会教育施設をどう配置するかとか。
言われてみれば確かに。あるのかな?この辺りに詳しい方、ぜひ研究所までご連絡ください!
尖ったニーズはこの施設で対応して、目的性の高くないニーズはこの施設で対応するとか。そんなマスタープランがあっていいと思います。
そうだね。さらに、図書館、公民館、博物館、体育館などのタイプを相互で統合して捉えて再編するような動きが出てきてもいいと思うよね。
むちゃくちゃいい!
「社会教育施設」の低い収益性に関わる話題
先日ちょうど国立科学博物館のクラウドファンディングが話題になったけど、目標額1億円どころかもう数億円になっていて。こうした資金調達が可能なくらいの意義を認めているのなら、普段の低収益な状況も変えられそうな気がしてしまいました。
どのような人でも社会教育の機会にアクセスできるといった社会教育施設のよさが、利用料金などの設定と施設運営の継続性という関係においては裏目に出てしまっているのが気になります。
絶対数としては多くはないけど特別な利用メニューを設けたら利用する人もいて、それで少しでも収益性を高めるとか、ぜひやって欲しい。音楽ホールなどで、市民が利用する時と音楽ライブなど収益事業で利用する時とで利用料金を変えている例もあるし。決め方のところは細かく見れば色々支障があるのかもしれないけど……。
あるいは社会教育施設だからこそ、クラウドファンディングという形が相性が良いのかも知れないですね。国立科学博物館のクラウドファンディングへの支援の集まり方を見ると今後、いわゆる「友の会」ではない、新しい応援のされ方も考えられそうですね。
さて、そろそろ時間ですね。みなさんありがとうございました。
冒頭に触れたとおり、このタイミングで、図書館、体育館、公民館……といったそれぞれの施設ではなく、あえて大きなくくりとしての「社会教育施設」を認識できたことは、これからさらに公共不動産活用を考えていく上で、とてもよかったと思っています。
一方、やはり前回書いたとおり、「社会教育施設」をひとくくりで取り上げたゆえに、解像度が粗いところも多くなってしまいました。生涯学習・社会教育そのものの潮流も大きく変わってきていますし、公民館、図書館、スポーツ施設など、それぞれがとても興味深いところがあるので、また個別にも取り上げていきたいと思います!
公共R不動産研究所は隔週水曜日更新!
次回は、9月6日(水)、研究所立ち上げから半年が経ったタイミングで開催した、メンバーによる振り返り座談会をお送りします。
前回の「『公共不動産データベース』担当の頭の中」では、ちょっと大きなくくりで「社会教育施設」を取り上げました。社会の多様性に応じ続け、今後もクリエイティブな施設が生まれ続ける期待感がある、その最先端が「社会教育施設」であると感じたのですが、今日はこれを題材に研究員のみなさんから話を聞きながら、さらに深掘りしていければと思います。