「Public Space Chart(仮)」の目指すもの
それをいよいよ実行に移すぞ!ということで、岸田さんとステートメントのようなものを書いてみました。今回はこれをベースに議論をしたいと思います。
近年、様々な公共空間プロジェクトが実施されている。日本の公共空間の使われ方の転換期、いや激動期と言っていいだろう。メディアに取り上げられるような成功事例の影で、なかなかうまくいかないプロジェクトや、モヤモヤを抱えたプロジェクトもあるはず。
行政・所有者視点、運営事業者視点、周辺事業者視点、ユーザー視点、それぞれの視点から、公共空間がより楽しく、おもしろく、自由に使える/つくれる/運用できるようになるには、どうしたらいいのだろう。そこには公共空間特有の何らかの仕掛けが必要かもしれない。
いや待てよ。そもそも公共空間プロジェクトは何を目指すべきなんだろう。公共空間プロジェクトの”うまくいっている状態”とはなんだろう。それは、それぞれの場所の状況や、視点によっても違うはず。
そこで、公共空間を評価する手法を考えてみる、というプロジェクトを始めてみたい。題して「Public Space Chart (仮)」。「Chart」は「海図」、すなわち船が暗礁に乗り上げないための地図を指す言葉で、そこから広がってわかりやすく図表で示すことを意味したりする。多様な公共空間のあり方を俯瞰的に眺める、みちしるべとなるべくして名付けた。
「Public Space Chart (仮)」は、大きく下記の3段階の役割を果たすことを目指している。
①目的の明確化:ユーザーをはじめとするあらゆるステークホルダーの目線から、その公共空間が目指すべき姿が整理される
②手法の検討:その公共空間を実現するために企画者・計画者・運営者が取るべき手法が検討できる
③意思決定:行政や運営者がよい公共空間を目指すための意思決定をすることができる
それらを通じて日本らしい/その地域らしい/その空間らしい公共空間のあり方が獲得されることを目指したい。
ここまではまだ抽象的なんですが、具体的に何をするか妄想し深掘りしていくために、いくつか仮説を立ててみました。
①目的の明確化のために
・公〜共〜私の間の落とし所を見定める
公共空間と一口に言っても、その目的や役割はさまざま。100万人のための公共空間も、1000人のための公共空間も、1人のための公共空間もあるはずである。それを同じ土俵に載せてはいけない。まずは誰のための公共空間なのかを言語化しないといけないのではないか
・より民主的な評価手法へ
計画者や研究者目線のいわゆる「評価」だけでなくて、一番川下のユーザーも評価に参加できるプロセスは作れないだろうか。公共空間プロジェクトの激動期において、常に指標自体が成長し続ける評価手法はできないだろうか
・これは例えばフローチャートや投票のような形で示されるのかもしれない
②手法の検討のために
・空間構造と社会構造に着目
例えばある公園で、楽しく遊ぶ親子がいて、おじいちゃんが日向ぼっこをしている姿がみられ、イベントやワークショップを仕掛けている人がいて…という多様な人が共存している光景が見られたら、それをきっかけに引っ越してくる人や、出店を決める事業者もいるかもしれない。公園の空間構造が、社会的、経済的、財政的な効果を広く周囲にも与えているのではないか。
「もんじゃの社会史」の中で、空間構造と社会構造が関係しながら独自の文化が発展する姿をみてきた。社会的な構造変化が空間に表出する現象を遡り、空間に表出した現象を社会の構造変化として捉えられる評価が必要なのかもしれない
・究極には、ベンチ1個と社会構造までを繋げて考えられないか
・これは例えば「パタンランゲージ」のような示され方をするのかもしれない
③意思決定のために
・利用者〜設計者〜所有者を橋渡しする
立場の違うステークホルダーが、その場に対して「こうあってほしい」と思うことがあっても、話が通じなかったり相容れなかったりすることがしばしばある。でもそれは、視点や言葉が違うだけかもしれない。それぞれの言い分を翻訳し、建設的な議論ができるツールができないか
・マイルドな評価
そのためには、ユーザーも理解できる、明確でわかりやすい手法であるべきなではないか
・これは例えばガイドラインのような形で示されるのかもしれない
その結果、最終的に目指すところは、評価すること自体ではなく、
・日本(人)の公共空間リテラシーが向上し、日本各地でより楽しく、面白く、自由に使える公共空間が発生する。歴史も文化も違う西洋の広場を無批判に目指すのではなく、日本らしい公共空間のあり方を目指したい。
・より楽しく、面白く、自由に使える公共空間の解像度を上げた先に見える公共空間の風景を見てみたい
と、いったん書いてみたところですが、いかがでしょうか?
公共空間が地域の価値形成の鍵なのは間違いないですよね。でも「いい公共空間とは?」というのは難しい問いです。あらゆるニーズに対応しようとすると、汎用性の高いつまらない空間になりがち。まずはじめにそれを客観的に捉えるというのはいいですね。
多様な目線を取り入れる
誰の目線で語るかも重要ですよね。商業エリアか住宅街かでも目指す姿が違うので、同じ指標で比べられるものでもない。場所に応じてその空間が目指すべきゴールを見て、評価すべきですよね。国は「居心地がよい」ということにフォーカスしようとしているけど、経済性とか、表現の場であるとか、多様な目線があっていいはず。
評価をする前に、まずはそこがどんな場所で、何が起きているかを客観的に”記述する”ことが重要だと思っています。今後、他のいろんな手法をリサーチしてみたり、専門家に聞いてみたいところですね。
多様な目線の情報を集めるためには、ユーザーにとっても参加しやすい手法が肝だと思っています。住民がどんな暮らしをしたいのかとか、周りの状況がどう変化しているのかに応じて、あるべき姿も変わりますよね。例えばコペンハーゲンなどのまちでは、通りがかりの人に意見を聞くような取り組みがあると聞きます。
こういう手法をつくるプロセスを公開すること自体も、ある意味ユーザーを巻き込んでいると言えるかもしれません。多様な方の意見を取り入れてつくっていけたらいいですよね。
公共空間で何かをやりたい人の武器に
場所ごとの特性を見ていこうとすると、ユーザーの声に加えて、地域の過去を知ったり、これから起こる未来を予想するようなことも必要ですよね。
妄想や予測も織り交ぜて、ボールを遠くに投げるようなこともしないと、新しい空間は生まれませんよね。それが公共R不動産の役割なんじゃないか、と思ったりします。
でも一方で、いやいやそれは無理でしょ、っていうのもあるじゃないですか。例えば、公園のひとつの理想系とされている豊島区の南池袋公園があって、「我がまちにも南池袋公園をつくりたい!」っていう方がたくさんいるわけですが、どこにでも同じものがあればいいわけではない。飯石さんや馬場さん(公共R不動産プロデューサー)は南池袋公園を活用する立場で関わっていますが、どう思いますか?
なぜその空間をよいと思うのか、解像度を上げていくことが必要ですよね。「南池袋公園のような」の中身が、空間構成を指しているのか、デザインなのか、アクティビティなのか、運営なのか。それが分かって初めて、他の場所にも使える知見になると思います。そんなサポートができるツールになるといいなと。
意思決定をする上での戦い方にもなりますね。「その場所にあったいい公園をつくるために、本当はもっとこうしたい」という行政職員や計画者の武器にもなるといいとも思うんですよね。
ある自治体だと住宅開発を行う場合に「指定した面積の公園をつくり、かつベンチと遊具を何個置きなさい」などと要求水準が決まっていて、結果的にどんな場所でもほぼ同一の公園ができあがることがあります。この基準は、あえてベンチと遊具は設置せず、緩やかな丘を設けて、使う人が自由に遊び方を生み出すことができるような公園のつくり方を排除してしまいます。そうした行政の画一性と戦うための武器にもなりますね。
宅地造成に伴って提供される公園も同じような課題を抱えがちです。規定に従って設けられたけど、使われていなくて維持管理の負担だけがかかる、というような公園がたくさんあります。必要性が低いのなら廃止して、そのお金を本当に必要なところに回す、などという判断もできるようになるための問いですね。
どういった状況になることを目的として、あるいはどういった状況になることを懸念して、そういった規定がつくられたのか。表面的なものでなく、原点に戻れるような指標になるといいですよね。
「公園」と一言に言っても無数のグラデーションがありますからね。必要な場所に必要なものがないと意味がない。
エリアの状況を前向きに捉え、必要なことを見極める
例えば緑が多いと言われる某市では、市全体ではひとり当たりの公園面積は大きいですが、中心市街地では緑地も公園も貧弱で、これをどうしていくかが大事な論点になっています。
足りないからだめだ、というような批判をするだけではなく、小さくてもあるものをどうおもしろくできるかとか、公園がないなら代わりに民地を使うといい、みたいな肯定的な方向で考えられるといいと思っています。
必ずしもハイスペックなものがあるべきではないですよね。この場所にはこのくらいがちょうどいいんだ、というラインがあるはずです。
公園の要素がまちに溶け込むことでもっと豊かに暮らせる、という意味では、馬場さんが提唱している「PARKnize」にも通じますね。
適用できる空間を妄想してみる
公園の話はイメージしやすいですが、他の公共空間にも適用できる可能性はありますかね?
選択肢が多い、というのは幸福度が上がる重要な要素だと思います。居場所の多様性という点では、例えば公営競技場の時の論点に通じたりしませんか?
公営競技場がある地方をたくさん見てきました。公営競技場がもつ独特の世界観と相まって、若い方からお年寄りまでが、施設の中で一緒にご飯を食べ、勝ち負けの予想を交換し、観戦する。短い試合がたくさん続くから、その分コミュニケーションも自然とたくさん生まれる。一種の娯楽的なスポーツ施設であり、分け隔てなく集える公園でもあり、はたまた会話や歩くなどを通じた健康のための福祉施設も兼ねてるのではと感じています。公営競技場の他にも、そういう「実は公共的」な場所を見出すきっかけに、この指標がなり得るかもしれない。
あとは、評価指標をつくることで、例えばアスファルトで固められた駐車場のような、ある意味「まちと関わることを諦めた場所」のような場所にもアプローチできる余地が生まれるのではないか、などと思いましたが、難しいですかね……。
民間の土地だとまずは地権者のマインドを変えないといけないですが、地域の価値向上に貢献できて経営的にも有効である、と客観的な指標によって示すことができたら、マインドが変わるきっかけになるかもしれないですね。
平日は駐車場だけど、週末は需要に応じて公園になる、みたいな姿も見てみたいです。もしかしたら公園が駐車場になる、みたいな主たる機能を入れ替えてみることも重要なのかも。
人口が減っていく中では、可変性とかシェアというのもひとつのポイントかも。短期だと数時間、長期だと数年〜数十年のスパンで考えたい問題です。
Public Space Chartが実現した未来とは
例えば、近所にのびのび遊べる公園があったら、遠くまで旅行しなくてもいいかもしれないし、充実した図書館があったら、学校に行かなくても十分学べるかもしれない。美術館に子供を連れていくと、声が大きかったり、走り回ったりするので、他の来館者に迷惑がかかるのではないかと思い、居心地が悪くなり、そそくさと出てきてしまったりしますが、美術館だってある意味公共空間のはずで、いろいろな人にとって使いやすい、居心地の良いあり方を模索していくことはできると思うんです。
Public Space Chartによって、公共空間に対して、今声を上げていない人も含めて誰でもポジティブにアクションできるようになったら、経済や文化的なものも含めて、享受できるものが増えそうですね。そうなったら楽しいし、将来に希望が持てます。
松田さんの「将来に希望が持てる」という言葉は刺さりました。行政の施策をみると、将来に希望を持てるように子育て支援金をだしたり、大学教育費無償化であったり、お金を分配して将来の市民の不安を解消することを目指している。が、それ以外にも公共空間を変えていくことによって、「将来に希望が持てる」状態にできるかもしれない、という話ですよね。そういう力を公共空間は持っている(少なくとも、松田さんと僕は「将来に希望が持てる」ようになる)。
そして行政だけが公共空間を変える権利を持っているのではなくて、民間事業者でも個人でも、高齢者でも子どもでも、誰もが「将来に希望を持つ」ためにアプローチできるという点が重要だと思います。そういうアプローチができるのは、公共空間ならではですしね。
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公共R不動産研究所は隔週水曜日更新!
次回をお楽しみに。
研究所を立ち上げて取り組んでみたいこととして、「公共空間に対する新たな評価手法」をつくりたいということがありました。