既往の評価を補完する視点
「改めて空間を記述したい」というパラグラフがポイントだと思っています。これまでの評価手法は、いずれもまずは世界の一部の面に着目して切り取って来ました。僕たちはそこから一歩踏み込んで、そこで何が起きているかをより多面的に統合的に掴んでいきたい。それを、これまでの評価手法を複数組み合わせたり補完したりすることで可能にできないか?という仮説であり視点ですよね。この視点は、実際のプロジェクトを読み解く上で大事だと感じます。
「空間の質」を追いかけたいが……
実際の空間に当てはめながら5つの宿題を考えてみると、より解像度が上がると思うので、ひとつの例を投げ込んでみたいと思います。
公共R不動産では、とある複合文化施設の空きスペースの活用を考えているところです。アートを核に、無料で使えて、人が集い、イベントも行えるようなパブリックスペースを目指しています。現在、実証事業を行っている中で、どのように評価を行うのかが課題になっているんですよね。
なるほど。
行政は定量評価が基本です。新しい使い方を実験していたとしても、「来訪者数」や「合計オープン時間」「入館料/入園料」という「数字」を求める傾向が強くあります。税金で行っている事業だからこそ、市民に対して何らかの数字で示さなければならないというバイアスがかかる、というのがその背景にあると思っています。
一方で、公共R不動産では、「関わる主体の数」や「事業者数」「関わり方のクオリティ」という「関係性をどこまで高められたか」という点を評価してほしいんです。最近話題に上がる、観光人口の増加だけではなく、関係人口を増やそうという考え方に近いのですが。
この事例では、以前は店舗として1事業者が占有していましたが、実証事業では6事業者が関わる場所となり、それぞれが色々なトライアルをしています。また来訪者の質も変わっていて、以前は美術館やホールで開催される催しのついでに立ち寄る場所でしたが、このスペースでのイベントやワークショップ自体を目的に訪れる場所になりました。ただ店舗の頃に比べると、オープンしている時間も、来訪者数も減ったので、その点ではマイナスの評価になってしまうんですよね。評価の方法を整理できれば、もっと進むべき方向を関係者と共有できるのになあと。
定量評価の落とし穴
数量で示される方が明確ですから、どうしても測りやすい指標を選びがちですよね。質を評価したいけれども測ることが難しい時は、代わりに測定可能な指標を用いてまで数量で示そうとします。実務的には方法論として割り切ることもあると思うのですが、問題なのはその評価指標が示している意味を忘れてしまう、考えなくなってしまうことですね。
行政やユーザーの視点による評価もある中、「公共R不動産としての視点を定める」という意味で、評価手法をつくりたいと思っているのかもしれません。
例えば、多様な人が様々なチャレンジができる場所にするという目的/価値を持つと、「コンテンツ同士の融合」、「ユーザーアクティビティ」、「設え」、「運営方法」、「周辺環境へのインパクト」などが重要な評価軸であるべきということが、私が実践を通して感じたことでした。
先述の空きスペースでは、このような評価軸をもとに、人の居場所をつくる企画を実践しました。ただ、関係者の中からは「営利目的での使用を通して売り上げ向上を目指すべきだ」という声もあがり、議論が始まっています。この点は、『チームの力』で言うと「価値の原理」が最初からずれてしまっていると思います。
目的/価値を共有していくためには、やはりトライアルの中で起きたことを記述していくことが重要だと感じるんです。写真をとるのか、パースを描くのか、関係主体のネットワーク図を描くのか、はたまたパタンランゲージでまとめるのか……、記述方法については考えないといけないですが。
むちゃくちゃリアルな悩みですね。こころなしか、会議の雰囲気がどんよりしてきたような……(笑)。でも、この議論が始まっているというところはポジティブに捉えられるのではないでしょうか。
松田さんの記事『第四の台座に何を載せるか/トラファルガー広場のパブリックアートから公共性を考える』では、公共性が高いこの広場の変化を契機に議論が巻き起こったことが紹介されていましたよね。これは裏を返すと、そもそも議論が起こること自体が、その空間が関係主体が多く公共性が高い場所であることの証明なのではないでしょうか。つまりこの空きスペースの活用方法において議論が起こっていることが、一定の公共性がある、または高まりつつあることの証とも言えるんだと思います。
視点がずれて議論が起きることは悪という捉え方をせずに、なぜ議論が起きているのかを正確に捉える記述が必要なのかも。これは議論の有無にかかわらず公共空間で生じる様々な事象に対して言えるかもしれません。
確かに……。この複合文化施設の場合、もともと空きスペースだったのに、活用し始めたらいろんな人がその使われ方の状況について議論を始めました。議論が起き、公共性が生まれる可能性が見えたことも成果のひとつと捉えられるかもしれませんね!
主体によって評価が分かれることを許容する
この複合文化施設では、様々な主体が関係し合い、それぞれがそれぞれの価値の原理のもとに空間を評価しています。ふたつ目の宿題の「良し悪しを評価する主体」というところを考えるにあたり、重要なサンプルになりそうです。
「良し悪しを評価する主体」が変われば、当然評価手法もそれに従って出てくる結果も異なります。立場によって評価結果にばらつきがあったということこそ、PSCを考える上では注目すべき結果と捉えられるかもしれません。
評価にばらつきがあることを許容しなくてはなりませんね。関係主体全員が「ベスト」と評価する公共空間って、なかなかないはずなので、関係主体が「ベター」と感じる状態を維持するということが、公共空間の運営なのかもしれません。
そうですね。以前取り上げた「価値の原理(人間は関心に応じて価値を見出す)」と「方法の原理(方法の有効性は状況と目的に応じて決まる)」に通じる話だと考えています。
その人が何に関心があるのかで価値基準は変わりますよね。公共空間には関係する主体が多く、主体が多いということはその関心の数もまた多く、つまり良い悪いの価値判断もまた複数あるということになる。どれがよいかを決める基準というより、多くの関心により複数の価値判断があるという事実そのものを、できるだけ構造的に捉えて可視化できるといいなと思っています。
そしてその空間の方向性を決めるのは、今度は意思決定の話ですが、多数決で決めるという話でもありません。どこまでの範囲の関係主体が評価をするべきなのかという点は、まだ議論が必要ですね。
例えば誰でも使える公園を目的とした時に、弱者が評価者に選ばれず、弱者に配慮していない公園になってしまうと本末転倒、という場合もあるでしょう。誰かにとってよい方法を選択すれば必ず別の誰かにとっての不利益になる。しかし何かしら目的を明確にしないと、評価指標はもちろん、評価者の設定もできなくなります。その時に持っておく視点としては、『ケアのロジック』の話が繋がってくると思います。
空間によって目的も評価指標も評価者も変わってくることを認識した上で、どういう選択肢があるのかを示せる手法であるべきだと思いました。多くの場合、ありうる選択肢を並べてみることができないから、あやふやで進んでしまっている。
評価が分かれるからこそ必要なコミュニケーションツール
社会実験は、あるターゲットに向けた限定的な目的をもって実施することがありますが、効果測定のターゲットを広げておくと、当初のターゲットに対しての効果は薄くとも、まったく違うところで思いがけず効果が出ている、ということもあります。
目的設定と効果のロジックが違うことに落胆するのではなく、効果に行き着くまでのロジックをしっかり把握し、積み上げていければ、別の社会実験の時に目的設定と効果の有用なロジックにつながる。このようなナレッジの積み上げもまた重要になってきますね。
ナレッジの積み上げができれば、例えば施設の計画を作成する際に、「人数」といった単純すぎる指標や「居心地の良さ」といった主観的な指標に頼ることを超えられる気がします。
超えていきましょう!(笑)。声が大きい人がたくさんいるプロジェクトだとより効果的だと思います。口で言うのは簡単なんだけど……。
また一歩、複雑になってきましたね(笑)。ただ複雑だから、みんな認識できないでいる。複雑なものを複雑な状態として扱い、整理、選択ができるようになればいいだけですね。これまた口で言うのは簡単……。
記述方法としての「公共空間版パタンランゲージ」とは?
まさに複雑なので非常に難しいんですが、例えば「他の事例ではこういう空間にするとこういうことが起きた」といった関係性を明確に説明することで、他の空間にも応用できるようにしたいと思っているんですよね。
なるほど。それはまさしく僕が「公共空間版パタンランゲージ」でイメージしていたことに近いかも。
ところで、その「公共空間版パタンランゲージ」の話、議論の中でたびたび出てくるけど、実際どういうものを岸田さんがイメージしているのかが分からないから、この辺りで一度、ちゃんとまとめて記事にした方がいいんじゃない?
ああ、確かにそうですね(笑)。次の記事はクリストファー・アレグザンダーの「パタン・ランゲージ」を読み解くところから始めましょう!
前回の記事では、既往の評価手法を眺め、5つの宿題を挙げてみました。今回はそれを踏まえて、研究員それぞれが関わっているプロジェクトでの問題意識ながらも聞きながら、ディスカッションをしたいと思います。