不確実な社会
現在の社会は不確実性が高まっていると言われ、事業環境が想定しにくい時代にある。例えば、近年のサブプライムローン問題、新型コロナウィルスの拡大、ウクライナ戦争…など、異国の問題が国内の事業環境に大きな影響を与える機会は多々あり、一昔前には想像もできない状況にある。企業の事業環境はもちろんのこと、僕たちが対象としている公共施策の領域においても同様だ。事業主体、施策主体が直接コントロールできない事態に影響され、その環境が大きく変化する。10年後、20年後、さらには数年後さえも先行きが見えにくく、不確実な時代だ。
不確実性を利用する
なんだか暗い記事になってきてしまった。不確実性にちゃんと向き合えさえすれば怖いものではない、と言えば、少しは明るくなるだろうか。
こんな話がある。ヨーロッパで、とある携帯電話端末を販売する競合の2社がいた。2社とも同じ工場を利用していたが、ある時、落雷でその工場の生産ラインがストップした。1社の生産は完全にストップしたが、もう1社はこのような事態に備えて他の工場と調整しており、完全ではないものの生産ラインは継続された。企業にとって、生産がストップすることなんて考えたくない。ずっと何事もなく生産が進んでほしい。ただその時が訪れてしまった事例だ。最悪の事態への備えを怠らなかった社がその後シェアを伸ばしたのは、いうまでもない。
この話は「planBを設定しておこう」という教訓と捉えられるかもしれない。しかしここではあえて、「何か最悪な事象が起きることを前提に準備し、よりよい対処を実行することが不確実な社会を利用するための知恵である」と言っておこう。
まちのシナリオをつくる
さて、前置きが長くなったが、簡単にシナリオプランニング(以下、SP)におけるまちのシナリオのつくり方ついて考えてみよう。SPは、大まかに「環境分析→重要環境要因の特定→シナリオ生成→シナリオ活用」という流れで作成する。
ここでは一般的なSPのつくり方をまちやエリアに適用することを目的にした場合にプロセスを変えてみた。
【step1】前提条件設定
対象エリア、時間枠、利害関係者の設定をする。
【step2】環境分析
エリアの環境を変化させる要因(環境変化要因)を抽出する。これはブレインストーミングや関係者へのヒアリング、アンケート等によって行われる。
【step3】重要環境変化要因の特定
step2で抽出した環境変化要因を、不確実性/まちへの影響の大小により評価し、重要変化要因を設定する。
【step4】シナリオ生成
重要環境変化要因を変数としてシナリオを定義する。
【step5】シナリオの展開
各シナリオから想像する以下の項目を広げていく。
①そのエリアに起こりうる未来年表
②そのエリアの建造環境/自然環境
③そのエリアの人口動態
④そのエリアの利害関係者への影響
⑤そのエリアの未来イメージ
⑥そのエリアの成功要件
【step6】シナリオの活用
まちの施策に反映したり、まちの関係者と共有して各シナリオが実現した場合の戦略を準備したりする。そして特定のシナリオが実現する予兆が現れたら、すぐに準備していた戦略を実行しよう。
【step7】更新
シナリオは定期的に更新し、その準備と戦略を再度構築する。
従来型の戦略策定との相違点
さてSPは従来型の戦略策定と何が違うのか。
従来型では、その環境の将来に対して有効だと思われる戦略を1つ策定する場合が多い。このような戦略が有効だった時代もあるが、不確実性が高い社会下では、施策環境の展望性が大きく損なわれてしまっている。そのため従来型の戦略策定の手法では、想定と大きく異なる未来が訪れた場合、その戦略の意味を失ってしまう。一方、SPによる戦略策定は、将来の施策環境を複数想定し、その環境に対して複数の戦略を策定する。
このように、施策環境には振れ幅があるという前提に立つことが従来型の戦略策定の手法との大きな違いだ。
計画ではなく、実践のための手法
SPは「最悪の状況であっても、より適した実践」を促進するための手法と言える点で、「計画する」ことではなく「実践する」ことにより重きを置く。SPで得られたシナリオは、そのまちの施策環境がどのように変化する可能性があるのかを示し、様々な変化に対してより具体的なイメージを持たせる。そしてそれぞれのシナリオごとに事前に戦略を立てることで、変化の予兆があった場合、迅速にそれに対応することができる。
また、SPは、計画そのものではなく、実践の質を向上させること、様々な環境変化に対してのイメージを膨らませること、不確実な状況に対して戦略を立てることが目的であるため、シナリオ自体が将来に実現するかどうかはあまり重要なことではない。「必ず起きること」を予測するものではなく、さらに「どのシナリオが一番起きてほしいか考える」ものでもない。「起きるか起きないかわからない」将来を複数描き、それに備えるための方法論だ。
最悪なシナリオこそが実現の可能性が高い
先述のように、従来型の戦略策定においては、一つの目標からシナリオが設定される。それはしばしば理想的な将来像を追い求めてしまう。「人口が増加する/人口を維持する」、「住民がまちづくりに参加する」、「域内の経済状況が好転する」など……。このような理想的なシナリオに向けて多くのリソースを割くことになる。
しかしよく考えてみよう。これらを実現した自治体は確かにある。しかし多くの自治体では実現できず、人口は減少している。多くの住民はまちづくりに参加しないし、経済状況はなかなか良くならない。つまり僕たちが恐れ、考えたくもない最悪のシナリオこそが、実は実現の可能性が一番高いのだ。
企業の事業において最悪のシナリオが実現した場合は、事業の撤退という最終手段がある。一方で、エリアやまちにおいて最悪のシナリオが実現した場合でも、自治体や地域に根ざした企業は、その地域から逃げ出すことも、その地域を諦めることもできない。つまり撤退はないのだ。だからこそ、最悪なシナリオに備え、そのエリア、そのまちのためにできる最善の戦略を用意しておく必要がある。結果的に皆が成功と思える状態をつくる戦略を持っていることだけが、最悪のシナリオを最悪のものとしない方法のひとつだ。
不確実を楽しもう
少し前に千葉県一宮町で仕事をしたことがあった。日本におけるサーフィンのメッカとして東京オリンピックでも競技会場に選ばれた海がある。一宮町の海を眺めていると大小の波がランダムに押し寄せ、サーファーたちはいい波を待ち、一瞬の判断で次々とテイクオフしていく。(全く薦められることではないが)台風前の荒れた天候と波だというのに、果敢にテイクオフにチャレンジする猛者もいるくらいだ。
サーフィンと施策は違うのだろうが、波(=施策環境)が一定であったらつまらない。一番いい波を読み取る瞬間、一瞬の判断でテイクオフ(=施策の実行)をしていく瞬間。この瞬間が一番楽しいと、僕は思う。いい波であろうと、荒れた波であろうと、より大きな波に乗り、より高く、遠くへ進んでいきたいものだ。それこそが不確実の楽しみ方だ。
【参考文献】
『ウォートン流シナリオ・プランニング』ポール・シューメーカー著 鬼澤忍訳 /2003年/翔泳社
『シナリオ・プランニング 未来を描き、創造する』ウッディー・ウェイド著 野村恭彦監訳 /2013年/英治出版
『実践 シナリオ・プランニング』池田和明・今枝昌宏共著 /2002年/東京経済新報社
『最強のシナリオ・プランニング』梅澤高明編集/2013年/東京経済新報社
研究員によるアディショナルノート
プロジェクトやエリアを運営する方法論として、またアウトプットのフォーマットとして、十分にポテンシャルがありそうですね。
岸田さんとはパタンランゲージを活用した空間評価について議論をしているところですが、時間軸を加えた評価の視点もまた重要です。時間を経る中で分岐していくことを想定したSPの整理は、プロジェクトの事後評価やPSCに活かせる部分も多そうです。
戦略的な「保留」
公共R不動産のプロジェクトの中には、まずはトライアルで活用してみることでその施設やエリアの未来を見極め、本格的な活用へと進めていく、という手法をとることがあります。その時、さらに戦略的に、スキームと想定シナリオをセットで提案していくことも今後可能性があると思いました。
SPを公共空間プロジェクトで実施する場合、どのタイミングで行うかも重要な気がします。いくつかの選択肢のうちどれを実行するかという思考から少し離れる必要がありそうです。というのも、SPのポイントは、シナリオと戦略を想定しておくけれど、実行が「保留」されることだと思います。この「保留」という態度は、環境の変化に対応する時間を確保するもので、ある種の冗長性をプロジェクトに組み込んでおくことが有効だと思うんですよね。
「とりあえず使ってみましょう」という公共空間のトライアルプロジェクトでも、次の活用への移行のポイントや撤退のポイントを見極めるために、どんなシナリオがあるのか想定しておく必要があると思います。極端な話、想定される未来がすべて望ましくない、ということもありうるわけで。本当に何が起きるか想定していなければ、無責任になってしまうかも。
悪いシナリオが起きても、最悪の未来にしない
理想ではあるのですが、起きてはいけないことが起きたとしても、「成功だったね」とみんなが思える戦略と取ろうというのがSPなんですよ。どのシナリオが実現するかは誰もわからなくて、誰の所為でもなく悪いのシナリオが実現することもある。シナリオをつくった時に「このシナリオが起きたら嫌だよね」と思ってもよいのですが、本当に最悪なのは、起きてはいけないことが起きた時にプロジェクトが止まって、そのエリアが死んでしまうことですから。
最近出版された『撤退と再興の農村戦略』(林直樹著、学芸出版社、2024)はまさにSPの話です。何か計画をたてる際には理想的な未来が描かれることが多い。しかし現実は最悪のシナリオもあるし、どのように農村を閉じていくかを考える必要もあるわけです。最悪のシナリオが実現しても、心構えさえしていれば怖いものではないという態度が著者の林さんの考えだと感じています。また最悪、その農村を閉じる選択肢を取ったとしても、そのうち再興のチャンスが訪れるかもしれない。つまり農村を閉じたとしても再興のチャンスを想定した撤退が好ましいという話もありました。
行政は施策を考える上でSP的な思考をすることはありませんが、行政施策を考えたり、公共施設マネジメントや再編の計画立案や、合意形成をしたりする上でもこの手法は有効なんだと思います。
現場への実装はできるのか?
ちょっと乱暴な考察ですが、行政は税金を使って事業をするという立場上、SP的な思考をとることは難しいのかもしれないんでしょうね。「うまくいかない可能性もあるけれど…」と明言しながら税金を使う判断はしづらいのかもしれないな、と。
本来は、最悪なシナリオが起きても、その中での効果を最大化するための考え方なんですがね…。例えば民間投資の世界で、投資家は投資先に失敗するかもしれないと言われた投資を躊躇すると思います。しかしながら投資先が撤退のポイントを想定していたり、事業環境が悪くなった時の対応を考えたりする方が投資家としては安心するはずです。つまり正しくSPが理解され、運用されれば行政施策の世界でも使えると個人的には理解しているんですが…。
岸田さんは、某市でSPをやってみたことがあるそうですが、住民や関係者の反応はどうでしたか?
この手法の理解を浸透させるところまではいけなかったので、反応を得るところまでも進めませんでしたね。
確かに、SPは従来型の戦略とは違うし、態度を保留するという点でも高度なので、理解を浸透させるのは難しいかもしれませんね。それこそ練られたワークショップや生成AIを使ってリアルタイムにシナリオづくりを感じてもらうようなことができれば、理解や合意形成もスムーズに進みそうだよね。
土地利用の戦略づくりにも使おう
もうひとつ、岸田さんの文章を読んでいて思ったのは、土地利用に「余白」をとっておくことの重要性でした。土地利用は頻繁に変えることはできず、変えるにしても時間がかかります。まちに「余白」スペースがなければ、あるシナリオが起きた時に有効な対応をしようと思っても、適切なタイミングで実施することが難しくなってしまう。シナリオの影響を受け止めるだけの「余白」を、あらかじめどのように戦略的にエリアの中に組み込むことが重要になってきます。便宜的な空き地や公園が、実は将来のための「余白」なのかもしれない、と考えました。
関わっているプロジェクトでも、理想的ではないことが起きる事は多々あります。あらかじめ想定しておけば異なるオプションをとれたかもしれないと思ったこともあります。プロジェクトを外から、冷静な目線で眺めるのは重要ですね。