広大な自然の中に佇む愛知県陶磁美術館。「土と生きる」をテーマに、美術館の可能性を探る社会実験、二日目に行われたトークセッションの模様をお届けします。
前日美術館に泊まった参加者を前に、やきもの蒐集家 小西裕佳子さん、陶芸家の寺田鉄平さん、公共R不動産ディレクターの馬場正尊が、陶磁美術館の未来について語りました。
小西:私は普段はイベントの企画運営をしていますが、茶文化への興味から茶碗へ、そして志野の湯呑みを皮切りに焼き物にハマりました。今回は進行役を務めさせていただきます。馬場さんは古い建物の再生や公園設計などを手がけられていて、泊まれる公園「IN THE PARK」をご存知の方も多いかと思います。寺田さんは、織部を得意とする窯元・美山陶房の5代目です。我々のようなイベント運営や建築設計では考えの及ばない、作り手の視点ならではのご意見も楽しみにしています。
馬場:まず、こんなにも美術館然とした空間で、昨晩はテントを張って寝たと聞いてびっくりです。それは美術館が特別な世界のすごいものじゃないと教えてくれる、もっと身近なものでいいのだと感じられる機会になったんじゃないかと思います。今も目の前には、作家の作品を出していただいていますが、その隣に、自作の大きなビアジョッキを並べるなんて、ありえないですよね。でも作品とはいえ、茶碗は本来使うものです。美術品であり、使える作品でもあるというのは陶磁器らではでないでしょうか。その線引きというのは実際のところどうなんでしょうか?
寺田:参加者が自作のビアジョッキでビールを飲むとか、自分が作ったものを器にして食事をするというのは、作り手としてもすごくいいことだと思っています。鑑賞を目的とした美術品と、使用することを目的とした工芸品ということでは、例えば百貨店では扱うフロアを変える等の線引きがなされていますが、それも作り手や受け手によるのではないでしょうか。私は作品を飾らずに使ってくださいと言います。作品が美術と工芸を行ったり来たりしてもいいと思っていて、触れられる美術として手にすごく近いところにあってほしいというのは、作り手として意識するところです。
馬場:例えば、目の見えない人は触って美術を感じます。この美術館でも触って鑑賞するということを定期的にされていますよね。素晴らしいです。僕らはよく知らないから、作品は触ってはいけないと思っているけれど、それが体験できるとしたら、美術館の新しい切り口になるかも知れない。僕ら建築の世界では、「建物は使われてナンボ」なので、完成した後で実際に使う人たちが使いやすいように変更されていくのは嬉しいことでもあるのですが、焼き物も少し似たところがありますよね。それを使う人に委ねるというか。
寺田:器は使うことで風合いや色合いが変わるので、「器は育つ」と言われています。特に陶器は育ちやすいと言われていて、貫入の様子も変わります。そうした経年変化を美しいものとして受け入れるのは、とても日本的な感覚です。海外では汚れとして扱ってしまうことも、日本ではそれを良しとする。不完全なものも面白いとする。焼き物はそれに合致していて、経年変化や古くなっていくことは悪いことではないという価値観がベースにあります。
馬場:確かにそうですね。美術館の関係者に聞いたのですが、「焼き物はSDGsのようで実はそうではない」ということ。焼き物を作り出すまでに物凄いエネルギーを使っていて、一度作ったものは数万年も風化しない。残ってしまうのものなんです。だからこそ、未来につながる焼き物はどうあるべきか、価値あるものを皆で考えていく必要がありそうです。また、そうしたことも問いかけることができるのが美術館であり、体験から問いを発せられるようになるといいですよね。
寺田: もう一つ言わせてもらうなら、焼き物をやっている人をはじめとして、実際に土と生きている人たちがここにはたくさんいます。作り手は、地面を掘ったその恩恵を受けて作るので、焼き物が地続きのところにある美術だと感じています。宅地開発が進めば土が掘れずに原料が採れないという事態も経験しています。また、ものづくりを支える道具や釉薬を作る職人さんたちが高齢で引退していく中、産業インフラが不足して手に入りづらくなっている現状があります。産業の根っこを支えている、そうしたところにも目を向けてもらえたら「土と生きる」ということがもっとリアルになっていくように思います。
馬場:なるほど。見え方がまるで変わりました。美術館は氷山の一角であり、作品は最終的なアウトプットにすぎない。美術館のあり方を考え直すプログラムを構築する時には、一角だけを見るのではなく、町や陶土、産業全体を見ることが大事ですね。衰退するかもしれない産業を支えるには思い出や体験がやっぱり必要で、子供の頃から日常の中に美術館があるべきだし、素晴らしいものがあればそこに携わる者の誇りを喚起するはず。なおさら、この美術館が瀬戸にあるということがキーになりますね。一連のストーリーを体験できるポテンシャルはあるわけだから、まずはここで話を聞いてから街に出て現場で実感するという、ここを入口にしたツーリズムができれば、これまでとは全く違うものが見えるでしょうね。
小西:全体性のあるプロジェクトですね。この場が企画会議みたいなものになりました。美術館だけのことを考えるのではなく、美術館と産業と街をトータルでつなぐチャンスになりそうです。時代を超えて、過去が今、今が未来につながる企画の中で、美術館がそのハブになれる可能性を十分に感じました。
二日間の実証実験を経て
器という一つの作品には、自然が作り出す土、人の技術、釉薬の化学反応など様々なプロセスが絡んでいますが、作品というアウトプットを鑑賞するだけではそこを感じることができません。
この場所が六古窯の一つ“瀬戸”という地にあり、瀬戸という地を象徴する陶磁美術館だからこそ、アウトプットを見るだけではなく、町や陶土、産業全体を見せることができると感じました。
また、トークセッションの参加者からは、衰退するかもしれない産業を支えるには子供の頃の思い出や体験がやはり必要で、そのためには子供たちの日常に美術館があるべきだという意見も。美術館に素晴らしいものがあれば、子供たちの記憶にも残り、作品に携わる者の誇りを喚起するはずです。まずは美術館で話を聞いてから街に出て現場で体感するという、ここを入口にしたツーリズムができれば、これまでとは全く違うものが見えるのではないかと感じました。
観るだけの美術館から、体験するための美術館へ。ゆっくりと滞在するために、つくる、味わう、泊まるなど、敷地全体、さらには街全体を使って、できることがあるのではないかと確信しました。公共R不動産では、愛知県陶磁美術館が、「この土地で生まれ、育まれてきた陶磁産業を切り口に、地球とのつながりを丸ごと感じることができるネイチャーパーク」になりうるのではないか、という構想を抱いています。
この場所に宿泊したからこそ見えてきた、美術館のあり方と可能性。現在は改修工事のため休館中ですが、どのように生まれ変わるのか楽しみです。
『土と生きる』美術館の可能性を考える 前編はこちらから。