岡山県瀬戸内市・牛窓といえば、「日本のエーゲ海」と呼ばれるほど、海や山のロケーションが圧倒的に美しい地域。そんな牛窓エリアの海辺に面した場所にあるのが、旧牛窓診療所をリノベーションした「牛窓テレモーク」。
穏やかな瀬戸内海を臨むこの場所。大きく手を加えずに当時の面影を残しながらリノベーションされました。診療室や事務所があった本館はカフェと雑貨やケーキを販売している店舗、そして定期的にマーケット等を開催するイベントスペースに、そして元病室だった本館2階は、オフィスや店舗、そしてレンタルスペースになっています。ちょうど取材に伺った日も、1階では天然素材で作られた洋服やカバン、アクセサリー等を販売している方が出店していて、来訪者と楽しげに会話を交わしていました。
そして改めて空間を見渡してみると、壁をぶち抜いた跡がそのまま残っていたり、剥き出しのコンクリート壁に直接アートがペイントされていたりと、もともと公共施設だったとは思えないざっくり具合。まるでヨーロッパの倉庫のような佇まいです。
牛窓診療所活用までの背景、そして民間主導での運営について、牛窓診療所利活用事業を手がけてきた瀬戸内市企画振興課の松井隆明さん、そして牛窓テレモークを運営している株式会社西舎の打谷直樹さん、八名彩香さんへのインタビューで掘り下げていきます。
前編は、牛窓診療所の活用事業を推進した松井さんに、事業立ち上げの経緯から公募・選定のプロセスについてお話を伺いました。
活用のきっかけは一人の職員の声から
旧牛窓診療所は、合併前の牛窓町時代に「町立旧牛窓病院」として運営されていましたが、老朽化による移転を理由に2016年に閉鎖されました。閉鎖時点では施設に関する今後の方針は市役所としてもなかった状態だったそう。
そんな中、当時移住促進業務の担当だった松井さんは、移住者を一人でも増やすべく都市部の移住フェアにブース出店してPRをするという日々を続けていました。しかし移住フェアへの参加を続けていくうちに、移住候補者のパイの取り合いをするようなやり方に違和感を感じ、何か別の方法で瀬戸内市に移住したくなる人を惹きつけられないか考え始めます。そんなある日、市内を巡っていた時にふと閉鎖された牛窓診療所が目にとまります。
「ここを魅力ある場所に活用して人が集まるようになれば、移住したくなる人も増えるかもしれない!さらに牛窓地域の人口減少や高齢化、過疎の問題の解決にもつながるのでは・・!!」
と、診療所活用の担当部署ではないものの、一職員の思いとして牛窓診療所の活用を考え始めたところから全ての物語は始まりました。
とはいえ何から始めたら良いのか悩みつつ、まずは当時の財産管理の担当課に相談してみますが、活用についての理解が得られませんでした。なぜならそこには、もともと診療所としての機能は継続してほしいという声がありながらも苦渋の決断で閉鎖したという歴史があり、その状態でいきなり民間活用に踏み出すのは地元の方の感情が追いつかないのでは、という懸念の声が上がったのです。
でもどうしても形にしたい!ということで、松井さんは市長や自部署の上司にそのアイデアをぶつけていきます(市長に直談判できる距離感は瀬戸内市の魅力!)。市長、自部署の上司や同僚は取り組みの意義を理解して面白がってくれたものの、やはり実際に動かすとなると、市役所全体の理解や他部署の方からの協力なしにはスタートできないという状況は変わらず、一時期は「孤独を感じていた」と言います。
そこで、いきなり活用事業者の公募を出すのではなく、まずはこの場所のあり方や活用の方針を地元住民や民間事業者とアイデアを交わしながら考えていくための期間を設けてみよう。そう思い立ち、ちょうどそのタイミングで総務省が実施していた「公共施設オープンリノベーションマッチングコンペティション(2016年)」という公共施設活用を民間事業者と提案して支援を得るというプログラムを発見し、ダメもとで牛窓診療所をエントリーしてみたところ、2事業者から提案があがってきたそう。そのコンペでは実際の事業化には至らなかったのですが、民間事業者から牛窓診療所のポテンシャルを見出してもらえたということで、サウンディングを進めることに対する機運が庁内少しづつ高まっていったそうです。
そして2017年、実際のサウンディング業務を実施しようという動きが始まります。
エリアの魅力を感じるサウンディングツアー
通常、サウンディングは民間事業者の方に市役所にきていただき、活用アイデアや活用する場合の条件について対話をするという形式が一般的です。しかし、まだ活用における明確なビジョンがない中、いきなりその形式で対話をしても、良いアイデアや建設的な意見は出てこないと松井さんは考えました。
そして視点を施設から牛窓エリアに広げて見たとき、穏やかな瀬戸内海とそこに浮かぶ島々の多島美、海を見下ろすオリーブ畑といった自然が織りなす瀬戸内・牛窓エリアの魅力を改めて実感します。この魅力をより多くの方に知っていただくことで、診療所活用のアイデアや糸口が見えるかもしれない、そんな思いから2017年8月にサウンディングをツアー形式にして実施。ツアーを通して、市内だけでなく市外・県外からも関心を持つ事業者の参加を促し、このエリアの可能性について議論を重ねていきました。
サウンディングツアー、そして翌日のトークイベントを通じて、参加者が牛窓診療所や牛窓エリア全体に魅力や価値を感じてくれたこと、さらに牛窓に深い愛着を持って、診療所活用に積極的に関与しようとする「担い手市民」が多数いるというポテンシャルが明らかになったことも、この事業をやった大きな成果だったと松井さんは話します。
「サウンディングツアーでは、施設の活用だけでなく牛窓というエリアをどうするか、どうしたいかを考える時間になったことが印象的で、施設単体で考えるのではなく、エリアとしてどうあるべきかという広い視点から市として活用を考えないといけないことにも気付かされました。」(松井さん)
さらに民間事業者との対話も行い、そこでは実際の活用に向けての課題も明らかになります。診療所が広いため1社での活用が難しいこと、短期間での整備費回収が難しいこと、その点をどう公募時にクリアし、より参画しやすい条件設定ができるか、そんな検討も庁内で進んでいきます。
自分たちのまちは自分たちで考え動かす 決意が固まった牛窓住民
そして翌年2018年には、サウンディングツアーで始まった対話の場をより深めていくという目的のもと、「牛窓デザインミーティング」という場が全4回設けられます。「牛窓らしい賑わいとは?」「100年後の牛窓とは?」といったテーマが掲げられて、毎回熱量の高い対話が展開されていきます。活用アイデアのプレゼンイベント等も行われ、診療所活用のコンセプトが練り上げられていきました。
ミーティングから練り上げられた、まち・施設への思いは以下の4つ。
1:牛窓の良さ、牛窓らしさを表現すること
2:従来の開発ではなく、段階的に育っていく場でなければならないこと
3:施設運営には、牛窓への十分な愛着と理解が必要であること
4:診療所が担ってきたコミュニティの役割を引き継ぐこと
特に「2:従来の開発ではなく、段階的に育っていく場でなければならないこと」という考えには、牛窓エリアの歴史が色濃く反映されています。
もともと牛窓というエリアは、かつて西日本の一大リゾート地として多くの資本が投下され、別荘やクルーザー、ホテルなどが立ち並び、急激な拡大を遂げた時代がありました。しかし今はその面影はなく、現在は過疎地域に指定され、人口減少や高齢化が急速に進んでいる状況となっています。
デザインミーティングの場でも、牛窓の住民から当時の記憶が苦く残っているといった声が上がりました。それ故に、今回の活用で短期的な成果を掲げて単に商業的な賑わいをもたらしていくのではなく、活用事業者と地域住民がこの場所に関わって時間をかけながら交流し、関係性を積み上げていけるようにしたい。ゆっくり時間をかけて文化を育んでいきたい。内側から牛窓というエリア固有の魅力を伝え、ここにしかない魅力ある場所作りを時間をかけて進めていきたい。
デザインミーティングに参加した牛窓住民の切なる想いを受けて、瀬戸内市としてもこの施設のあり方、活用のスキームをまとめあげ、地元の方が診療所活用に積極的に関われるような内容に仕上げていったのです。
余白を残し、街の文化を残すことを掲げた公募要項
2年間に渡って診療所活用に向けての議論を進めてきた瀬戸内市。いよいよ2018年後半から本格的な事業者公募に進んでいきます。公募要項を作成するにあたり、これまでの事業者や住民からあがってきた声を丁寧に反映していきました。
牛窓リノベーションプロジェクト 旧牛窓診療所利活用事業 – 瀬戸内市公式ホームページ
事業スキームは普通財産の20年賃貸借。建物は無償、土地は有償貸付で、金額は事業者からの提案を受け付ける形にしました。
「賃料の設定を提案いただく形にすることで、事業に関与したい人であれば誰でもチャレンジできる仕組みにすることを大切にしました」と松井さんは話します。
しかし、診療所自体がかなり老朽化しており、インフラ設備はリニューアルする必要性が高い一方、工事発注段階ではどこが老朽化しているか把握することが難しい。そのため、追加でインフラ工事が必要になりそうな箇所は要望事項として事業者に盛り込んでもらうという形で対応したそう。新築ではなくリノベの場合、工事が始まってからインフラや基礎の不具合が発生するというケースが多いですが、その場合でも行政が対応できるようにしたこの仕組みは他自治体でも参考になりそうです。
そして今回の公募の最も注目すべきは審査基準です。通常は、実績や企画提案内容、事業計画など定量的な項目が審査項目との比重として高く設定されることが多いのですが、この公募ではなんと「理解・愛着の深度」が全体の2割を占めています。
「単にロケーションが良いからエントリーしてくるという事業者は継続していかないだろうし、愛着や施設に対するコミットはしっかり見るべきだ、というアドバイザーからの意見もあり、この配点を設定しました。」(松井さん)
もちろん継続して事業に関わってくれるだけの事業計画や収支も重要ですが、それ以上に、これまで対話を重ねてきた地元の方の思い、牛窓というエリアへの理解や愛着についての配点を高く設定したことに、瀬戸内市としての診療所活用における思いが伝わります。
そしてこの選定プロセスを経て採択されたのが、地元のアーティスト・デザイナー・建築家・不動産事業者がそれぞれの専門性を持ち寄って結成された「株式会社 牛窓テレモーク」と「株式会社 西舎」の共同企業体です。代表である小林さんは、牛窓で「てれやカフェ」という音楽カフェを2008年から運営している方。地元牛窓への思いも深く、今回の事業には並々ならない思いがあったそうです。
後半では、運営に関わっている株式会社西舎の打谷さん・八名さんから、牛窓テレモークについてと今後の展開についてお話を伺います。
公共R不動産ディレクターの馬場正尊も牛窓テレモークについて動画でレポートしています。あわせてご覧ください。