2024年6月、はじめての台湾に行ってきた。本当は2年前に台湾旅行を計画していたけれど、コロナパンデミックの影響で渡航を断念せざるを得なくなったので、2年分の期待に胸を膨らませながら飛行機に乗り込んだ。
まず降り立ったのは台湾の首都、台北。人口約250万人(京都と同規模)の大都市だ。
天気は曇天だったものの、台北のまちに溢れる物や人の色彩が鮮やかだからなのか、もしくは純粋に自分のテンションが上がっていただけなのか、とにかくまちが活気で満ちているように見えた。
台北:都市計画の施策で開かれた軒下空間
台北で過ごしている最中に(予想はしていたけれど)雨が降ってきたので、少し憂鬱になりながらいそいそと傘を取り出す。しかしまちを歩いていてふと気づいた。
「雨は降ってるのに、ほとんど傘を使っていない….?」
その理由は「騎楼(きろう)」という台湾独自の軒下空間。(こちらは公共R不動産の金子さんのレポートにも前述しているとおり)
騎楼とは日本の統治下にあった時代の都市計画によって確立された建築様式で、台北に限らず台湾の多くの市街地でつくられてきた。1階の専有面積を一部半屋外とすることで建蔽率100%の緩和を受けることができ、建物を敷地めいっぱいに建てることができる。軒下空間が建物群一体で連なる台湾独特のまちなみをつくりだしている画期的な施策だ。まち全体に半屋外空間が張り巡らされているおかげで市民は雨も、強い日差しも避けることができる。
ただ、騎楼はあくまで通過動線。基本的にものは置けないのだが、バイクやスツールが置かれることが日常化している“ゆるさ”は台湾ならではの風景なのかもしれない。
九份:路面店が伸ばし合う庇で浮かび上がる軒先空間
次の目的地として、台北都心から高速バスに乗り1時間ほどで着いたのが、某アニメ映画のロケ地にもなっている九份。19世紀末に金の鉱山として採掘が開始されてから発展を遂げ、一時は衰退したものの現在は台湾の観光地のひとつとして定着している。
雨が多いことで知られている台湾だが、中でも九份は1年の半分以上が雨季というから驚きだ。筆者が九份を訪れた際も、案の定雨に降られた。しかし台北同様、傘をさす動作を、九份のまちなかでほとんどしなかった。
その理由は、ひしめき合っている店舗がお互いに簡易的な庇(ひさし)を伸ばしあって、パッチワーク上に軒先空間を構成していたから。高さも大きさも色も違う庇が重なり合ってできる半屋外空間は、九份のカオスさを体現しているようで、台北とはまた違った魅力を感じた。
台北のような大都市の都市計画スケールでも、九份のような小さなまちのローカルスケールであっても、「軒を創り出す」という同じ工夫がなされている。「高温多雨」という台湾独特の気候に対する潜在的な意識が、国内でエリアを問わず市民の中に共通してあるのだろう。
グランドレベルの公園的な心地よさ=軒先のパークナイズ?
前段でも述べたとおり、台湾のグランドレベルは私有地なのか公共用地なのかがとても曖昧なのに加えて、植物が溢れかえっていたことにも驚いた。それがテナントの所有物なのか、商品なのか、住民の私物なのか…ひと目では見分けがつかないが、とにかく街中が緑に溢れていて心地が良く、その中で人々が雑談したり、ただ佇んだりご飯を食べたり。本当に思い思いに時を過ごしているようだった。
植物と軒空間が掛け合わされたまちの風景は、まさに都市の公園化=パークナイズを体現しているのではないだろうかという気がして仕方がない。
日本の気候は年々上昇しており、台湾のような高温多雨の気候に近づいている。ところが日本の夏場の屋外空間はというと、熱くなったアスファルトの歩道、植栽やオーニングなどクーリングスポットがない公園が多く、ほぼ居場所といえる場所がない。気候変動に公共空間やまちの整備が追いついていないのが現状だ。
しかし将来的にもしも、店舗の庇がほんの少し歩道側に伸ばすことができて、植栽も置けるように規制が緩和されたら。もしも、日本の地区計画が台湾のように建物のグランドレベルの床面積を減らしてでも軒下を積極的に設けたくなるような法整備が行われたら。日本の夏場の屋外の過ごし方がもっと自由になるのではないだろうか。
台湾の旅行を通じて、日本の少し先の未来の風景を垣間見た気がした。